技術哲学という狭い括りなどには到底収まらないジルベール・シモンドン。で、昨年秋に刊行されたその1965年から66年の講義録を読み始めたところ。『イマジネーションとインヴェンション』(Gilbert Simondon, “Imanigation et invention”, Les Editions de la transparence, 2008)。うん、まだ序論から第一部へと進んだばかりのところだけれど、期待通りめっぽう面白い。シモンドン哲学の基本的なパースペクティブは、事物のプロセス性を描き出していくこと。生物の発達などとパラレルに、技術産品(技術対象物)などもまた絶えず変化を繰り返していくものとして描かれる。しかもそれは、内的・潜在的に含まれているものが外在化するプロセスだとされる。で、この講義では「イメージ」を同じくプロセス描写の俎上にのせている。この場合のイメージは人間(あるいは生物)が抱く内的なイメージから、実際に外在化する図像、さらには他の事物に付される「イメージ」まで、およそイメージ(イマージュ)という語がカバーする広範な領域をそっくりそのまま扱おうとしている。そしてそれを、生成・定着・対象化という大まかな三段階の外在化サイクルの観点から詳細に描こうとしている。
ちなみにこれも定番の『ケンブリッジ中世後期哲学史』(メルベケの訳本への言及はそちらでも確認可)などは、今やグーグルのブック検索で一部公開になっている(“The Cambridge History of Later Medieval Philosophy”)。ブック検索の基本は絶版本という話だったけれど、あれれ、これはどうなっているのかしら?例の強引とされた和解のせいで閲覧可能になっているわけ?確かに全ページではないけれど、うーん……。ブック検索、便利だから使わない手はないし、学術書などの公開は原則としてもっと幅広く行われてほしいと思うのはやまやまだけれど、なにかこう今ひとつすっきりしないのは、こういう市販されている本の扱いがちょっと怪しいからか……。ちょうど日本の中小の出版社がブック検索の和解案を蹴ったニュースが出ていたけれど(Internet Watchとか)、やはりそのあたりが問題になっているようだ。もっとも、少部数の学術書などは本来、別のスキームが必要に思えたりもする。学術書や論文などは、学術的価値などから考えて部分的公開でいいから迅速になされたほうがよい気もする。もちろん、権利者のなんらかの同意は必要だろうけれど。いずれにしても十把一絡げで対応しようというのはそろそろ限界なんではないかしら、と。
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……ちょっとこんな時に不謹慎という気がしないでもないが、ラクィラといえば、個人的にはちょうど16世紀初頭のリュート作曲家マルコ・ダ・ラクィラとかが気になっていたところ。ポール・オデットによる録音がiTunesで出ているけれど(”Lute Music Volume 2, Early Italian Renaissance Lute Music” -> )、フランチェスコ・ダ・ミラーノ(個人的にはそのリュート曲はとても好きなのだけれど)あたりとはまた違う作風で、なかなか興味深い。