パルマのブラシウスによる『魂の諸問題』は、『魔術的中世』のヴェスコヴィーニの校注版が出ていることを知る(大橋氏のブログ『ヘルモゲネスを探して』のアーティクルで触れられている)。というわけで早速取り寄せてみた(Graziella Federici Vescovini, Le Questiones de anima di Biagio Pelacani da Parma, Leo S. Olschki Editore, 1974)。ブラシウスの『魂の諸問題』は、異端の嫌疑で糾弾される前の1385年のもの(ヴァチカン写本)と、糾弾された1396年の後のもの(トリノ写本)があるようなのだけれど、同書のテキストはこの前者を主として再録し、後者で補完している形のようだ。まだちゃんと中身を読んでいないのだけれど、ざっと序文を見た限りでは、その内容はかなりラディカルで面白そうだ。パドヴァの物質主義的なアリストテレス解釈の流れを酌んでいて、人間の知的霊魂は物質的なもので、不滅ではなく、生成・消滅が可能だとし、さらには星辰の影響をも被るとしているという。自然発生(これまた占星術的な星辰の影響によるとされるらしい)論を支持し、さらに神は「永続する生き物」(animal sempiternum)、世界全体を導く物質(第一質料、あるいは物質世界の全体)であると見なしているのだとか(この言は別の著作『魂についての結論』のものらしいが)。ここだけ見ると、なにやらすごいことになっている(?)。ジャン・ビュリダンの影響などもあるのだとか。本文をめくるのがなんとも楽しみだ。追って報告しよう。
発生論のほうでもラディカルらしいブラシウスだけれど、魂の問題についてもやはりそうらしい。基本的なリファレンス本の一つ、シュミット&スキナー編『ケンブリッジ・ルネサンス哲学史』(Schmitt & Skinner, The Cambridge History of Renaissance Philosophy, Cambridge University Press, 1988)の「知的霊魂」の章(15章)には、ブラシウスの「物質論的」霊魂論が紹介されている。知性は非物質的かつ身体から独立して存在しているのか、それとも身体との関係性においてのみ知性は存在しているのか(その場合、知性は身体の形相とされる)を決めるのは、身体から独立した形での魂の作用(操作)があるかどうかにかかっている。ところがそうした作用は観察ができない。そのため知解のプロセスを知覚とのアナロジーで考えるほかない。その場合、魂には対象が必要となるけれども、その対象にはなんらかの距離・外延がなくてはならない。そのためには質料が必須ということになる。とするなら、魂にとっての対象は物質的な対象(物質と結びついた形相)だということになる。外的対象のほか内的対象(想起されるものなど)の場合でも、知性が抱く概念はもともと質料のうちに表されるのでなくてはならない。外的世界での質料と形相の結びつきとパラレルな形で、知解もまた質料(この場合は身体)と形相が結びつく「自然」な作用にほかならないのだ、と。ここまで、ちょっと古い質料形相論に連なる感じだけれれど、この後、ブラシウスは一気にラディカルな方へと走り出す。認識対象と認識主体は同種でなくてはならないとされていたことから、ブラシウスは、知的霊魂もまた、質料(この場合は身体か)の潜在性から引き出される特殊な形相にすぎず、身体が滅べば消えてなくなると推論するのだ(!)。当然ながらこれは当時の哲学的な考え方にも、キリスト教の教義にも反する立場。ブラシウスは弁明を余儀なくされ、後に自説を引っ込めるらしい。でもその考え方、ヴェネツィアのパウルス(こちらもそのアヴェロエス主義的な考え方が面白そうだが)などがオッカム流の唯名論的に普遍を考え、外的世界の事物に根ざしてなどいないとするのに対し、改めて実在論を導いているような話になっていて興味深い。
これも年越し本になってしまった一冊。まだ途中まで(三分の二ほど)なのだけれど、年末年始からとても得した気分になるほど面白いので(笑)さっそく記しておく。マイケ・ヴァン・デル・ルクト『虫、悪魔、処女−−中世の異常発生論』(Maaike van der Lugt, Le Ver, Le Démon et La Vierge – Les Théories médiévales de la génération extraordinaire, Les Belles Lettres, 2004)。ちょっとエキセントリックな題名で、なんとなく敬遠していたのだけれど、読んでみると中身はしっかりした研究だった。12〜13世紀の中世の動物発生論、とりわけ「異常発生」(つまり通常の生殖によらない発生)の問題圏めぐって、当時の議論を手堅く整理している感じだ。人口に膾炙した伝承の類や聖書にもとづくエピソードなどについて、当時の識者たち(主として神学者たち)がどのように解釈していたかをまとめ、わかりやすく紹介している。この、説話と学識層の議論とを行き来する様がとてもいい。というか、対象の選定としても論考の展開としても、ある種理想的な研究に思える。こういうのがやれれば本当にいいよねえ、と思う(笑)。