とりあえず個人的に関心があるのは前半。ドリス・ルーエ「中世の占い、理論と実践」(Doris Ruhe, ‘La Divination au Moyen Âge – théories et pratiques’)は、中世の代表的な文献を通じて、教養層(神学者)と大衆のいずれについても未来の予言について関心が深く、占星術も一般化していたことを改めて論じている。西欧の場合、マルティアヌス・カペラの「メルクリウスとフィロロギアの結婚」の影響のせいで占星術(=天文学)は詩的・寓意的な側面が強かったといい、「アルマゲスト」などをもとに数学的な面の教育が主流となるのは13世紀後半からだという。代表的なものとして挙げられているのは、サクラボスコのヨハネス「天球について」、ジョヴァンニ・カンポ・デ・ノヴァラ「天文学の鑑」、サン=クルーのギヨーム「王妃の暦」、メスのゴスアン「世界の像」、さらに逸名ものとして「天文学入門」「シドラックの書」などなど。うーむ、どれも面白そうだなあ。ちなみにこの「シドラック(インド人の意)の書」は、前半の最後にエルネストペーター・ルーエという人が詳しい論文を寄せている。
また、個人的に眼を惹かれたのがアレッサンドロ・ヴィターレ・ブルアローネ「予言者が正しいとき – 長い伝統」(Alessandro Vitale Brouarone, ‘Quand le prohète a raison – une longue tradition’)の一節。セム系の預言者の特徴が、未来予知というよりも、深い洞察力にあるとされるのは、セム語の時制が過去、現在、未来を基本的に区別せず、むしろ完了か進行中かの相だけを問題することと関係しているのでは、としている。なるほど、これは面白い着眼点(笑)。論考そのものは、予言に否定的だったキケロから、キリスト教での預言解釈(ペトルス・ダミアニが引かれている)を経て、後にそれが風刺詩などの対象になるまでを俎上にのせ、特にこの最後の、世俗化していく中での予言者像が、揶揄と批判との狭間で揺れ動いている様を示してみせている。
昨日はエピファニー(公現祭)。そんなわけで、Medievalist.netあたりが、東方の三博士とかマリア信仰とかに関する論文を紹介してくれるかなあと期待していたら、ちょこっとだけあった(笑)。メリス・テイナー(タネール?)という人の修論(Melis Taner, ‘Accompanying the Magi : closeness and distance in late medieval “adorations of the Magi” in Central Europe’, Central European Univsersity, Budapest, 2007)。その序章によると、東方の三博士が「王」として言及される嚆矢は3世紀のテルトゥリアヌスだというが、その三博士が視覚芸術に描かれるようになるのは12世紀を待たなくてはならないという。また三人に限定したのはオリゲネスなのだそうだ。12世紀以降、三博士は典礼劇での主役に躍り出、中世盛期になると、いかにも王という感じで、付き人などとともに描かれるようになるという。なるほどねえ。この論文、タイトルにもあるように、主眼はこの三博士の話が、中世末期以降(とくに15世紀以降)の中欧でどう受け入れられたかという分析。とりわけ遠来の地を示すための「東洋的」な表象や、あるいは親しみやすさを表すべく散りばめられたモチーフなどに注目し、視覚芸術としてどのような意味が与えられていたかを考察している。本文はまだ読みかけなのだけれど、たとえばプレスター・ジョンの王国が14世紀にエチオピアにあるとされるようになって、マギの一人が黒人として描かれるようになった、なんて話はとても興味深い(笑)。珍しい図版もいろいろ入っていて、こうした分野の研究の面白さがすでにして伝わってくる感じがする。いまさらながら、若い人の修論も結構面白いなあ、と改めて。
サンタクロースの造形のもとになった、ともいわれる聖ニコラウス(4世紀)。けれどもこの人物自体の存在も微妙で、ミラのニコラオスほか幾人かの聖人のいわば「掛け合わせ」のような感じで伝承が形成されたのだという。最初はギリシアで、続いてヨーロッパ中世で盛んになったといわれるその崇拝について、ちょうどクリスマスでもあるし(笑)、関連する論考をちょっと読んでみる。サラ・バーネット『中世イタリアにおける聖ニコラ崇拝』(Sarah Burnett, “The Cult of St.Nicholas in medieval Italy”, University of Warwick, 2009)という博論。500ページ弱あるので、すぐに全部は読めないけれど、さしあたり第一章までの60ページほど(続く第二章はイコノグラフィ、第三章、第四章はそれぞれプーリアとヴェネティアにおける事例研究。巻末の図版とかも素晴らしい)。