「近代初期・近世のほうへ」カテゴリーアーカイブ

異端審問の実像?

歴史についての紋切り型な見方を「修正」(決して悪い意味でなく)しようという動きはコンスタントにあるわけだけれど、これもそういったものの一つ。ドレク・オルティス「冷徹な弾圧者?スペインの異端審問の神話を解く」(Drek Ortiz, Ruthless Oppressors? Unraveling the Myth About the Spanish Inquisition, The Osprey Journal of Ideas and Inquiry, 2006)。いたるところで監視の目を光らせ、疑わしければ即刻連行、財産は没収し、異端を認めるまで拷問を続け、最後には火あぶりに処する……モンティ・パイソンのパロディじゃないけれど(笑)、スペインの異端審問の紋切り型イメージはそんな感じ。けれども著者によると、そうした紋切り型ができた背景にはプロテスタント側のカトリック批判があるという。16世紀のオランダで起きた反乱(スペイン統治に対する)後にプロテスタントが大量殺戮された件や、スペインのフェリペ二世がイングランドを攻略しようとした件などで、スペイン(とそれが擁護するカトリック教会)に対するアンチキャンペーンが貼られ、その格好の題材としてスペインの異端審問の残虐さが強調されるようになったという話。異端審問のそうした政治的な活用は19世紀にも見られ、さらにはナチスのユダヤ人迫害への批判にも持ち出されているという。では異端審問の実像はどうだったのか。

異端審問の手引き書には確かに拷問や処刑に至る手続きが記されているけれども、論文著者によれば、それはごく限られた事例だったのではないかという。イネス・ロペスの裁判記録では、罰金だけで投獄を免れたり、弁護の機会が与えられたりしているという。バルトロメ・サンチェスの裁判記録からは、異端審問官は書類仕事に忙殺されて、ほとんど事務所を出ていない実態が浮かび上がるという。そもそも地域の管轄をまかされる異端審問官の数が少なく、恒常的に人手不足状態だったらしい。そんなわけで、管轄地域を恐怖におとしめるなどということはまるでなく、むしろ地元では生活に支障をきたさないということで、容認していた節もあるらしい。このサンチェスなる被告は、自分をメシアだと称して捕まったらしいのだけれど、悔い改めの猶予を与えらたり投獄されたりした末に、結局は狂人という扱いで火刑にはならなかった。こうした「さほど重大ではない」案件と軽微な処罰が、これまではあまり取り上げられてこなかったことが、異端審問の実像を歪める一因にもなっていた、と著者は考えている。比較的新しい研究では、拷問が用いられる頻度もかなり低く、また、火刑にいたる件数も、1566年から1609年のバレンシアの異端審問3075件のうち、2パーセントにすぎなかったという。さらに、異端審問が少数派グループへの差別を和らげる役割すら果たしていたというのだけれど、うーん、このあたりはちょっと、「曲がった棒を直そうとして反対に曲げてしまう」例になっていないのかしら、なんて気もしないでもないかな?また、この「修正」見解全体にも反論はありそうだが……。

検邪聖省の裁判所の印章

存在神学の証明法の変遷(近世)

最近復刊したディーター・ヘンリッヒ『神の存在論的証明−−近世におけるその問題と歴史』(本間謙二ほか訳、法政大学出版局)を読んでいるところ。邦訳の初版は1986年、原著は1960年。とりあえずデカルトからヒュームにいたる存在論的証明の概要をまとめた「カント前史」にあたる第一部を眺めた。うーむ、これはある意味、神の存在証明において何が曖昧なままであったのか、何が不充足のまま残されていたのかについての変遷史、というふうに読むことができる。豊かな枝葉を切り落として、ここでは大きな見取り図だけメモとして取り出しておこう。まず中世においては、アンセルムスのアプリオリな証明(最大の存在である神には必然的に現実の存在がなくてはならないので、ゆえに神は存在する)と、トマスが行った根本原因の遡及による宇宙論的証明がとりわけ代表的とされるわけだけれど、このうちの前者をより精査する形でデカルトは、神の観念が最も完全なものであるというだけでなく(第一の論証)、現実存在がいかに最も完全なものに結びついているのかを論証しなければならないと考えたが(第二の論証:最も完全な存在者には必然的に現存在が含まれている)、それ自体を厳密に展開することはしなかった。これがその後に大きな影響をもたらす。ガッサンディは主として第一の論証のほうを誤謬推理として批判するのだけれど、その際に(デカルトと同様に)第二の論証の必要性を説き、つまりは概念から現実存在への移行が導かれない点を論難したりする。マルブランシュはデカルトを批判的に継承する形で主に第二の論証をいっそう定式化しようとし、神を純粋な現実存在として考えるのだけれど、これはどこか第一の論証へと戻っている感じでもある。スピノザもこの第二の論証から出発しつつ、やはり第一の論証のほうへ舞い戻るというか、完全性と事象性と存在はイコールであることを強調する。

その後に第二の局面が訪れる。マルブランシュやスピノザは第二の論証を重んじ、論証の出発点となる概念(完全性を構成する概念。たとえば「必然的存在者」など)を厳密に考え抜こうとしているが、これはイギリスの新プラトン主義者たち(トマス・モア、カドワース)による必然性概念などの批判的見直しに対応するためだった。そうした厳密化の姿勢をさらに強めるのがライプニッツで、現実存在が推論されるにはその存在者の可能性が証明されなくてはならないとし、ここへきて可能性の議論が前面に出される。その上で、可能にとどまるものよりも現実に存在するもののほうが高い完全性をもつとして、存在に向かう本質の衝動なるものを考える。「自己による存在者」が可能であるとされるなら、それは現実存在に不可避的に移行せざるをえないことになり、これで存在論的証明に反対するすべての人々を論難できることになる。なにしろ「可能性がないことを証明してみろ」と言い放つわけだから……。デカルトの議論の精緻化ここに窮まる、という感じでもあるのだけれど、一方でライプニッツは現実存在の最高の程度とはどんなことなのかを考察していないという。

ヴォルフになるとまた雲行きが変わる。ライプニッツのテーゼである可能性を前提とした上で、ヴォルフは、そこに現実存在が必然的に帰属することを論証すべく事象性という概念を提示する。こうしてどこか宇宙論的論証を持ち出したりして体系化するのだけれども、一方で概念的な厳密さは後退する。その弟子筋となるバウムガルテンは論証の統一性を体系化しようとし、あえて第一の論証を再検討する。その結果、第二の論証が依って立つ必然的なものという概念が、第一の論証をもってしか定義されえないことが明らかになる(!)。こんな感じであたかも円環が閉じるのかに見えるところに、いよいよカントが華々しく登場するというわけで、かくして舞台は一気に整う……のかな?続く第二部はカント。