「近代初期・近世のほうへ」カテゴリーアーカイブ

禁書目録のせめぎ合い

禁書: グーテンベルクから百科全書まで前アーティクルに続き、これも宗教改革がらみの一冊を言って差し支えないかと思われるのが、マリオ・インフェリーゼ『禁書: グーテンベルクから百科全書まで』(湯上良訳、法政大学出版局、2017)。原著は1999年刊。活版印刷発明後における教会当局の検閲に関して、地域を限定することなく各地の様々な動きを俯瞰的に描き出している。個人的に興味深いのは、「文化追放」と題された第二章に描かれる禁書目録の変遷。メモ的に列挙しておくと、まず目録が作成されるようになるのは1540年代からだという。1549年にヴェネツィア共和国で印刷された目録は約150冊の禁書を挙げていて、印刷はされたものの、共和国の元老院や書籍商などからの反発で、公布されることはなかった。ローマ教皇庁から出された禁書目録(1554年)も、パウルス四世のもとで進められていた全世界共通の方法の整備を待ったがために、やはり公布されなかったのだとか。最初のローマの目録は1559年に公布され(パウルス目録またはローマ目録)、約一千剳の禁書を挙げていたという。

17世紀ごろまでこのローマ系の目録は構造的に変化がなく、3つのグループ(非カトリックの著者、無名著者のもの、そして禁書総覧)に分かれていたという。それにしてもそのローマの目録。ヴェネツィアなどを中心に、書籍商や文学者・研究者などが反発し、宗教家たちとのせめぎ合いなどもあって状況は流動化し、たとえば新しい目録編纂の作業は異端審問所ではなく、トレントの公会議の最終段階に臨んでいた司教たちに委ねられたりもするようだ。こうしていくらかの譲歩をともないつつ、1564年にはローマ目録の改訂版のようなトレント公会議の禁書目録が公布される。フランスはこの目録を認めず、またスペインやポルトガルなどは独自の目録を作っていて、俗語の文学作品を注視したり、神秘主義系の著作を厳しく統制しようとしたりしたという。

その後、トレント目録の続編を1596年にクレメンス八世が公布する(クレメンス目録)。それまでは、トレント目録の方針を守ろうとする人々と、より厳格なパウルス目録に戻ろうとする人々との間で対立が深まっていた。結果的にクレメンス目録は、その折衷案的なものになったようだ。このように、目録の成立一つとってみても、そこには様々な力関係の駆け引きが作用している。検閲そのものをめぐる動きもまたしかり。書籍流通量の増大がもたらした反動的な統制意欲は、こうしてリアルポリティクスの中で揉まれ、その結果妥協の産物として変形された表現形が与えられる。その複合的で微細な力学こそが、歴史の醍醐味であることを改めて想う。

トレント公会議と政治

思想 2017年 10 月号 [雑誌]きたる10月31日は、ルターの『95箇条の提題』がヴィッテンベルクの城教会の扉に貼り付けられたとされる1517年10月31日からちょうど500年。これが宗教改革の出発点だったということで、今年は宗教改革500年のメモリアル・イヤーにされているわけだけれど、厳密に考えるなら異論も出そうだが、もちろんこういうお祭りがあってもよい。ルターの著書の邦訳(『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」 (講談社学術文庫)』、深井智朗訳、講談社、2017)など、関連出版などが相次いでいるのは歓迎したいところでもある。というわけで、とりあえず個人的には岩波書店の思想 2017年 10 月号 [雑誌]』(特集「宗教改革500年−−社会史の観点から)を眺めてみた。個人的に興味深かったのは、渡邊伸「全体に関わることは全体で決めるべきだ−−公会議問題から見たドイツ宗教改革の展開」。トレント公会議が開催されるまでの、プロテスタントとカトリック、そして世俗の政権が入り乱れる複雑な経緯を、ドイツ国内の動きを中心に詳述している。論文著者によると、そこには「信仰問題が帝国内の問題に収斂していった経緯」が見られ、トレント公会議は「普遍性を主張する中世世界から個性を主体とする近代世界への転換」点にあたるとされる。同論文の最初のほうには、公会議の問題について、議決を通して考察する研究が見当たらないと指摘されていてちょっと衝撃を受ける。手つかずの空白領域がそんなところにもあるとは……。

トレント公会議これを受けて読み始めたプロスペリ『トレント公会議』(大西克典訳、知泉書館、2017)は、抑制の利いた簡潔な文体で、やはり宗教世界と世俗世界との確執を描き出している。まだ冒頭部分だけだけれど、面白い指摘が多く、たとえばニュルンベルク帝国議会(1522)の後に公会議の開催を要求したのがドイツ諸侯で、しかもその会議の中心的な目的は何なのかははっきりしていなかった、といったくだりが印象的だったり。教皇周辺には開催に消極的な筋があり、和解を求めてカール5世の宗教政策を支持した一派もあり、また情勢の変化(ルターの死や宗教対話の失敗)によって力関係も変わったりしながら、公会議開催についてのある意味リカーシブな議論が開催後までも取り沙汰されたりしたらしく、公会議を政治利用しようとする向きと、なんらかの改革的成果を望む人々などの拮抗関係が、公会議そのものとそれを取り巻く環境をきわめて複雑なものにしていたようだ。これもまた、リアルポリティクスの醍醐味だ。

余談ながら上の『思想』からもう一つ。早川朝子「宗教改革と医学の「近代化」」がまた面白い。身分の低い外科医に解剖をまかせ、ガレノスの権威ある諸説を講じるだけだった中世以降の医学の教師たちに対して、みずから解剖を行いガレノスの誤りをも指摘したベルギー出身の16世紀の医師ヴェサリウスの姿を、宗教的権威に挑むルターに重ねている。ガレノスの説による(誤った)血液循環の話なども取り上げられていて参考になる。

地学の黎明

プロドロムス―固体論これまた夏読書ということで、ニコラウス・ステノ『プロドロムス―固体論』(山田俊弘訳、東海大学出版会、2004)を読む。ステノは17世紀のデンマーク人司教。金細工職人の家に生まれ、医学で研鑽を積んだ後に、サメの歯の化石への関心から地質学的な研究へと進んでいったという、それ自体興味深い経歴の持ち主。プロドロムスとはもちろん序論という意味だ。訳者による解説によれば、本論は書かれずじまいだった模様。面白いのは、物体が微粒子から成るという考え方、さらには固体のある種の形成が流体(をなす微粒子)の蓄積によってなされているという考え方を採用している点。ステノのスタンスはどこか巧妙で、そうした微粒子そのものの考察(それがどんなものであるかとか、どのような性質をもっているかとか)には向かわずに、ひたすら実利的に、説明原理としてそうした微粒子を引き合いに出している。必ずしも原子論ではなく、なんらかの超微細な繊維のようなものを考えているようだ。地層などの形成に関する考察も、流体の固着という観点から説明づけられる。また、化石が生物由来であることもはっきりと示されていて、地中でも地上と同じようなプロセスで生物が形成されるといった、当時人口に膾炙していたらしい説には否定的だ。

ジオコスモスの変容: デカルトからライプニッツまでの地球論 (bibliotheca hermetica叢書)これと平行して、同書の訳者による次の一冊にもざっと眼を通してみた。山田俊弘『ジオコスモスの変容: デカルトからライプニッツまでの地球論 (bibliotheca hermetica叢書)』(勁草書房、2017)。ステノを主軸に、同時代的な地学思想をめぐっていくという一作。『プロドロムス』にも、地層の形成についてデカルトへの言及があるけれど、そのデカルトの地学、デカルトの論的だったガッサンディ、さらにキルヒャー、ウァレニウス、フックなどの地学思想、さらにはスピノザ、ライプニッツなどの大御所が取り上げられていく。主軸ないし主役をなしているのはもちろんステノなのだが、たとえば地層の形成においてはデカルトの考え方が際立っていたり、化石の形成理論においてはフックが先行していたりなど、ステノは相対的にどこか影が薄くなっている印象もなきにしもあらず。ステノを主軸に据えたことの、その特異性はどこにあったのかが朧気になってしまうような気さえする。むしろフックなどのモノグラフが案外面白いのではないか、という印象さえ抱かせ、なにやら落ち着かない気分にもなる。とはいえ、視点を変えるならば、これは地学の成立を、取り上げられている主要な思想家が織りなすネットワーク的な様態に見いだそうとしているのかも、という気もしてきた。そのように眺めるならば、印象はがらっと変わる。それぞれの思想の有機的繋がり、連関などについては、研究はまだ端緒に差し掛かっただけのようにも思われるし、今後のさらなる展開にも期待できるのかもしれない。

クザーヌス:知覚から世界へ

前回と同じ論集『ニコラウス・クザーヌスにおける神の分有と観想』についてのメモ。クザーヌスの位置取りについての論考も収録されてはいるのだけれど、ここで興味深いのはむしろ視覚の問題を取り上げた二篇だったりする。まず一つめは、ジャン=ミシェル・クネ「現象としての絵画:見ることの元素少額から神秘主義的神学へ」(Jean-Michel COUNET, Le tableau comme phénomène : de la phénoménologie du voir à la théologie mystique)。これはクザーヌスの『神の観想について』で言及される絵画に寄せて、視覚論を再考しようとする一篇。ロヒール・ファン・デル・ウェイデンによる自画像とされるその絵は、どこから見ても見返しているように見えるというものだったといい、クザーヌスの視覚の議論の着想源になっているらしい。これを見る聖職者たちは一様に驚き、視覚の(さらには知性その他の心的機能の)再帰性、ひいては対象となる世界という謎についての考察を促されるという。そこからクザーヌスは、有限の世界の原初にはあらゆる場所から見返す絶対的なまなざしがあり、それはまさに神の視線、神そのものとして、視覚に映るあらゆる世界を包摂していると論じることになるのだ、と。人間の有限なまなざしは、神の絶対的なまなざしを分有することによって成立するという、新プラトン主義的な流出・分有観が、視覚論にも反映されている、という話。

この「見る=見られる」の再帰的関係性は、はるか後世のメルロ=ポンティの触覚論に見られる「再帰的関係性」に、微妙に呼応するものでもある。前々回取り上げた『触れることのモダニティ』の、最終章がメルロ=ポンティ論なのだが、そこでは、触覚に寄せた考察(触れることが即、触れられることに転じながら、それが感覚としては瞬時に失われてしまうといった記述)が、視覚にも無分別的に当てはめられているという指摘がある。かくしてメルロ=ポンティにおいては、触覚のもつ根源性は視覚をも含めて、そうした感覚の経験を組織化するおおもとになっているというわけなのだが、そこに絶対的な超越者を認める点で大きく違うにせよ、世界が立ち現れるその仕方に寄せるクザーヌスの考え方は、さほど大きく隔たってはいないようにも思われる。もっとも、こう言ってしまっては、前回の話とは逆に、近代の側に完全にクザーヌスを取り込むことにもなりそうだが(苦笑)。

もう一つはクリスチャン・トロットマン「レオナルドからニコラウスへの目配せ:クザーヌスにおける視覚、分有、週末論」(Christian TROTTMANN, Le Clin d’oeil de Léonard à Nicolas : vision, participation et eschatologie chez Nicolas de Cues)。こちらはクザーヌス初期の『推論について』に登場する、図式P(知覚図式)と図式U(世界図式)をめぐる論考。まず、円錐二つが相互に貫入したかたちの図式Pは、神の光と物質的な闇との間に被造物の世界があるという図式なのだけれど、それが従来言われているようなルルスの影響というよりも、当時優勢だった光学(視覚のメカニズム)論にもとづいている、という議論が一つ。ダ・ヴィンチが視覚について記したノートに残響が見られる、というあたりが興味深い。もう一つは図式Pから図式Uへの移行。図式Uは巨大円の内部に縦に三つの小円が並び、そのそれぞれの小円の内部に三つに微小円が、さらにそれぞれの微小円の中に三つの最小円が並ぶといったかたちのもの。小円は上位・中位・下位の領域を表し(天使の世界、魂の世界、物体の世界)、微小円は第一秩序・中間秩序・最下位秩序を表す(天使の世界なら、微小円と最小円でディオニュシオス的な九つの天使の階級が表される。他の世界も同様)。図式Pから小円の区分が引き出されるところがミソ(この議論の下敷きになっているのは、日本クザーヌス学会元会長という大出哲氏の論考なのだとか)で、これがクザーヌスによるディオニュシオスの階級論の拡張だとされる。

図式P
図式P
図式U

【基本】クザーヌスの位置取り

Participation Et Vision De Dieu Chez Nicolas De Cues (Publications De L'institut D'etudes Medievales De L'institut Catholique De Paris)イザベル・ムーラン編『ニコラウス・クザーヌスにおける神の分有と観想』(Participation et Vision de Dieu chez Nicolas de Cues (Publications de l’Institut d’Études Médiévales de l’Institut Catholique de Paris), éd. Isabelle Moulin, J. Vrin, 2017)という小論集を見始める。15世紀という時代もあって、クザーヌスは一般に中世からその後の時代区分(その呼称はルネサンスだったり、初期近代だったりいろいろだが)への移行期に位置づけられるが、どちらかというと、やはり新しい時代の側に寄せて解釈されることのほうが多いように思われる。でもそのあたりの解釈というか位置づけは、存外に明確ではないような気もする。より中世のほうに引き寄せて解釈するものがあってもいいのではないか、なんてつい思ったりもする。研究対象としてのクザーヌスは、研究者層が比較的厚い思想家なので、もちろんそういう立場もありそうだし、とくにドイツ以外の周辺あたりに転がっていそうな印象もある(あくまで印象だけれど)。というわけで、そんな思いとともにこの論考を眺めようと思っているところ。

さしあたり編者ムーランによる序論。全体的なまとめ・概論だけれど、これがいきなり上の問題に触れていて、とても参考になる。影響関係から見るなら、偽ディオニュシオスの否定神学や、プロクロスの受容によるプラトン主義が大きく影響していて、そこに流れ込んでいるアリストテレス思想やアウグスティヌス主義は後退しているとされる。このアリストテレス思想の後退と、さらにクザーヌスが数学と天文学に傾倒していることなどが、クザーヌスの先進性の大きな支えになっているという話。けれども宇宙論的な話はシャルトル学派に求められるし、数学への着目もプラトン主義の再発見に拠るところが大きいとも言われている。もちろんこの序論もクザーヌスの近代性への開かれに主眼を置いてはいる。けれども一方でその背景に広大なスコラ学の様々な流れがうねりをなしていることを、強調する書き方になってもいる。

また、この序論でもう一つ面白い箇所は、クザーヌスの人文主義的な人間中心主義と、世界の中心のずらしとが関連し合っていることを改めて指摘しているところ。神の創った世界を、いたるところに中心があって外周がない円と捉えることにより、逆に人間の主体的なまなざしの中心性が意識され、と同時にそれが、神的な絶対的まなざしによって担われることで担保される、という図式。こうした連関は、クザーヌスより前の14世紀あたりの複数の神学者たちにも萌芽的に見いだせそうな気もするが……果たしてどうなのか(?)。ほかの論考についても興味深い点があればピックアップしたい。