ついこの間入手したばかりの本だけれど、ジョエル・ビアール&ジャン・スレレット編『神学から数学へーー14世紀の無限論』(De la théologie aux mathématiques – L’infini au XIVe siècle, dir. Joël Biard et Jean Celeyrette, Les Belles Lettres, 2005)は内容的になかなか豪勢な一冊。14世紀の論者たち(ドゥンス・スコトゥス、ヴォデハム、ブラッドワーディン、オートレクール、リミニのグレゴリウス、オレーム、ビュリダン、ジャン・ド・リパ)が無限について論じた文献の仏訳アンソロジー。それぞれの抄録には研究者による解説もついていて、全体の布置を見通す上でとても有益に思える。まだとりあえずジョエル・ビアールによる序文をざっと見ただけなのだけれど、これまた全体的な流れを整理した、とても参考になる考察。というわけでちょっとメモしておこう。
少数派とはいえ、一四世紀にそれなりに議論を展開する例の不可分論の陣営について、その発端はどこにあるのかを知りたいと思い、グルヤール&ロベール篇『中世後期の哲学・神学における原子論』(Grellard & Robert(ed), Atomism in Late Medieval Philosophy and Theology, Brill, 2009)という論集を見始めている。とりあえず最初のマードック「アリストテレスを越えて;中世後期の不可分なもの、および無限の分割性」と、レガ・ウッド「不可分なものと無限:点に関するルフスの議論」の二章を読んだだけなのだけれど、なかなか面白い。まず、マードックのほうは主な不可分論者、アンチ不可分論者をチャートでまとめてくれているほか、いくつかの当時の論点を紹介し、論者たちのスタンスと何が問題だったのかを、アリストテレスからの距離という形で、著者本人言うところの「カタログ」として提示してくれている。ギリシアの原子論にはパルメニデスの一元論への対応や自然現象の説明といった動機があったといい、アラブ世界の原子論(ムタカリムンという学者たち)には連続的創造という教義を通じて、すべての因果関係を神の一手に委ねるという意図があったというが、中世後期の原子論(ないし不可分論)にはそのような大きな、確たる動機が見えてこないらしい。とまあ、いきなり肩すかしを食らう(苦笑)も、気分を取り直して見ていくと、やはり嚆矢とされるのはハークレイのヘンリー(1270 – 1317)だということで、その「無限の不等性」議論などはやはり注目に値するものらしい。これはつまり、連続した線が無限の不可分の点から成るものの、異なった長さの二つの線を比べること、つまり無限同士の比較が可能だという話。ヘンリーは点同士が隣接できるとし、点が互いに接し居並ぶことによって大きさが増えると考えていたという。このあたり、神学も絡んで結構複雑な話が展開しているようだ。
イエンス・ヘイラップ「ヤコポ・ダ・フィレンツェとイタリア固有の代数学の始まり」(Jens Høyrup, Jacopo da Firenze and the beginning of Italian vernacular algebra, Historia Mathematica, vol. 33, 2006)(PDFはこちら)という論文に目を通す。1307年にモンペリエで書かれたという、ヤコポ・ダ・フィレンツェなる人物の代数学の書は、当時知られていたアル・フワーリズミーの『代数学』や、アブー・カーミル、さらにフィボナッチなどのものと違う「解法」が記されているといい、しかもそれが俗語(イタリア語)で書かれていて、ほかの代数学とは別筋の系譜があったことを思わせるのだという。で、それを文献学的に考察しようというのがこの論文。注目されるのは基本となる6種類の方程式の提示の仕方で、このヤコポの場合、アル・フワーリズミーとアブー・カーミルが示す順番(フィボナッチも一箇所だけ違うのみでほぼ同じ)とはまったく違う順番で示しているのだという。しかも、ほとんど専門的な記号などを用いず、商業関係の具体的な利益とか財産の話などでそれを示しているのが特徴的なのだそうだ。また、ラテン語で書かれた代数の書と大きく違う点として、解法の正しさを示す幾何学的な証明がいっさい用いられていないことも挙げられるという。
そんなわけで論考は、文献学的な対応関係からヤコポがどんなソースを用いているのかを考察しようとするのだけれど、ヤコポの書の細かな諸特徴は個別に見ればアラブ系の文書にも見つかるとはいうものの、それらが一緒くたに入っている文書(つまりはソースの可能性が高いもの)というのはまだ見つかっていないのだという。また、ヤコポ後のイタリアの代数学の書を見ると、いずれもヤコポを出典として用いていることから、ヤコポの独自性がいやが上にも際立ってくるのだともいう。ただ、1344年に書かれたダルディ・ダ・ピサという人物の代数学はヤコポそのものに依拠しておらず、もしかするとヤコポが用いたものと共通の文書に依拠している可能性もあるのだとか。うーむ、文献学的な議論の面白さと、数学の文書の読み解きの難しさを改めて認識させてくれる(笑)興味深い論考だ。ちなみに論文著者は、このヤコポのテキスト(ヴァチカン写本)のトランスクリプションもPDFで公開している。さらにその翻訳を含む研究書(Jacopo Da Firenze’s Tractatus Algorismi and Early Italian Abbacus Culture, Springer, 2007)も出版されている。