「数の学」カテゴリーアーカイブ

アルキメデスの方法

Greek Mathematical Works: Aristarchus to Pappus (Loeb Classical Library)このところ、Loeb版の『ギリシア数学作品集』第二巻(Greek Mathematical Works: Aristarchus to Pappus (Loeb Classical Library), Harvard Univ. Press, 1941-1993)を読んでいた。サモスのアリスタルコスからパップスまでの一大アンソロジー。ここでのギリシア数学は、とくに幾何学系の面白い問題を提示してはそれを証明していく感じなのだけれど、アプローチが独特で、字面をただ追っていってもなかなか腑に落ちてくれない(苦笑)。様々な約束事がわかっていなかったり、ある一つの問題が他の問題の補助的議論になっているといった関係性がちゃんと見えていなかったりするからなのだろうなとは思うのだけれど……。それでも、たとえばエラトステネス(紀元前三世紀)の2地点の弧から地球の大きさを計算する試みとか、アレクサンドリアのヘロン(紀元前二世紀?)による近似の図形を用いた面積計算や歯車を用いた力学的記述、ディオパントスの煩雑な表記法などなど、各数学者の発想の豊かさはとても面白く刺激的だ。

アルキメデス『方法』の謎を解く (岩波科学ライブラリー)同書にはアルキメデスの著作からもテキストが多く収録されていて、たとえば回転放物体の体積問題では、その体積が、内接する円錐の体積の1.5倍(つまり2分の3)であることを論じていたりするのだけれど、そのやり方が興味深い。1.5倍に等しくない場合、それよりも大きいか小さいかしかなく、それらがともに矛盾をきたすとして等しいことを証すというやり方だ。で、これに関連して、斎藤憲『アルキメデス『方法』の謎を解く (岩波科学ライブラリー)』(岩波書店、2014)という概説書も見てみた。こちらは、20世紀初頭に見つかってその後行方が知れず、98年に再発見されたというパリンプセスト写本に含まれているという『方法』という従来知られていなかった著作を取り上げつつ、アルキメデスの「方法」論の全体をわかりやすくまとめている優れもの(アルキメデスのルネサンス期以降の再発見と継承・発展についてもわずかながら触れられている)。これによると上の円柱と円錐の関係の証明は、「二重帰謬法」と称されるものらしい。アルキメデスが多用する論証方法の一つのようだ。また、アルキメデスには上のヘロンが用いているような近似図形の組み合わせによる求積法もある(そちらの実例も上のLoeb版で読める)のだけれど、なんといっても興味深いのは、その再発見された写本『方法』に記されているという「仮想天秤のテクニック」なるもの。回転立体を右において、任意の場所で輪切りにしたものを仮想的に左に移しかえることで、両者のバランスが取れる点を特定し、それによって両者の体積比がわかるというもの。この方法は重心を求める計算にも使われているという。ちょっと面白いのは、アルキメデスがこれを証明ではなく「発見法」にすぎないと考えていたらしいということ。著者斎藤氏によれば、ギリシア数学の文献は最終的な証明だけを記し、どう発見されたかは記されないのが普通だとのことで(p.95)、この『方法』ではその発見法が説明されていることも重要なのだという。

数についての一大変換(16世紀)?

先日の近藤和敬『数学的経験の哲学』の一節に、長い伝統としてあった「数は単位である」という立場が覆され数の概念が刷新されるのが16世紀だったとする部分があった(p.127)。つまり「数は単位である」から「単位とは数である」へと考え方が大きく変換するというのだ。なるほど、ここで確かに先に挙げたクザーヌス(15世紀)の『推測について』などを見ても、数を単位として扱う立場が前面に出されている(第二章)。そこでは数が、推測をなすための原理であり、またそれに先立つものがなく、さらに単位から構成されるもの、というふうに言明されている。たとえば3という数は三つの単位(1ということか)から成るとされる。けれどもその数はそれ自体一つとして、いわば三位一体的に理解されなくてはならず、そこに縮減された三位一体性、もしくは一体三位性が見出されなくてはならない、とクザーヌスは言う。それがその数字の本質というわけなのだが、それこそがまさに思惟の第一のモデルをなしてもいるのだという。ややこしいが、いずれにしてもそこでは数が他から自立した一種の系(あるいは列)を形作るものと考えられているかのようで、数自身が分割されるようなことはない。これに対して、上の近藤本の一節で紹介されているシモン・ステヴィン(16世紀のフランドルの数学者・自然学者。小数の表記を考案したことでも知られる)の『算術論』(L’arithmetique, 1585では、数は事物の量を表すものであり(”Nombre est cela, par lequel s’explique la quantité de chascune chose.”)、単位もまた数であるとされている。論証はこんな感じ。「同じ素材の部分は全体と同じである。単位は複数の単位の部分をなす。したがって単位は複数の単位と同じ素材から成る。ところで複数の単位の素材とは数である。したがって単位の素材は数である」。このほか、同じくステヴィンの『十分の一』(Disme英語版:1608(オリジナルは1585)でも、冒頭に同様の定義が示されている(ちなみにこれらも含むステヴィンの著作は“Wonder, not miracle”というサイトにまとめられている)。もはや数は自立した系ではなく、量を表す指標(上記の近藤本)にすぎず、それ自体もまた分割の対象となりうるかのように扱われる。

なるほどこれは大きな転換点というわけなのだけれど、こうなると、クザーヌスとステヴェンを隔てる一世紀強にあいだに、数に対する見方にどのような変化が生じたのか、何がそうした変化を導いたのか、あるいはまた両者の間にミッシングリンクのようなものはあったりしないのか、といった疑問が当然のようにゾロゾロとわいてくる(笑)。このあたり、個人的にはまだとても不案内なので、いろいろ見ていきたいと目下考えているところ。

wikipediaから。サイモン・ステヴィンの肖像画
wikipediaから。サイモン・ステヴィンの肖像画

概念の内実へ

数学的経験の哲学 エピステモロジーの冒険近藤和敬『数学的経験の哲学 エピステモロジーの冒険』(青土社、2013)を読み始める。まだ第一部だけだけど、すでにしてとても重厚で濃い感じの議論が展開している。数学を事例として、概念というものの内実へとアプローチをかけていくという試み。ポイントなるのは、まず一つには概念においてすらその措定には「歴史的経緯」というものが伴われているという観点、もう一つには、概念が「構成的」な動きに関わるという観点。概念を措定する以前から、その概念がやがて指し示すことになる内容、すなわち直観的な行為や作用、経験などは存在しているものの、ひとたび概念が措定されれば、そうしたもとの内容を呼び出す必要はなくなり、その概念を用いさえすれば内容に関わる操作が可能になる。一方でその概念措定に際しての論証のプロセスは新たな表象を産出するプロセスを呼び起こすことにもなる。こうして連綿とした概念措定の史的繋がりが浮上する(同書ではたとえばライプニッツから現代にいたる関数概念の変遷などが言及されていたりする)。けれども「概念設定は、謂わば光学装置のようなものであり、そのスペクトルの設定を変更することで、たちあらわれる世界が変わってくる」(p.83)という。こうして、ひとたび措定された概念は、それ自体がまた経験の対象となり、「経験も概念もともに独特の変容を被る」(p.87)。その意味で、概念の内包的定義というものは非網羅的であらざるをえず、存在の同一性という(一般的な)存在論の基盤を揺るがすものでもある、と……。

数学の世界が、概念とともに新たな世界観をもたらすという歴史に彩られているとすれば、それを支えているのは概念をも巻き込む経験にほかならない。そこで言う経験とは、規則に支配された振る舞いのことだと規定される。「規則にしたがうことは、規則の意味や根拠を知ることなく可能であり」、数学世界での規則への追従は、「自発的な振る舞いが、命令にしたがっているという事実を、その結果として生み出すもの」(p.117)だという。つまり、それはまさに構成的なものなのだ。その振る舞いはやがて概念に縮約されていく。そのプロセスを、同書は擬・概念(未完成の概念)から概念への落とし込みという形で描き出そうとしている(素数についてのリーマン予想などが引き合いに出されている)。そこから、概念(ないし擬・概念)の機能というのはつまるところ、「知るための方法をもたない規則(一般性)を、その結合によって問題として言明することができるということにあるのではないか」(p.131)と同書は言う。ここでの「問題」は、なんともドゥルーズ的な「問題」だ。概念はほかの概念との結合を通じて、「ふたたび未規定な状態にもどる」(同)。その開かれた問題がさらなる概念を巻き込んでいく。

ごく限られた希有の才能による概念結合の火花が、より多くの媒介的知性による検証を経て定着していき、それをまた概念として新たな概念結合が導かれていく、というのが学問的発展のプロセスなのだとするなら、そのプロセスの端緒というか、第一のレベルへと肉迫していこうとする同書自体もまた、そうした概念結合の実践の場をなしている、と言えるのかもしれない。少なくともこの第一部に関しては、現代思想的なリファレンスをさほど多用することなく説き起こしているところに、個人的にはとても共感する(第二部以降は少し趣向が異なってくるようなのだけれど……)。

年越し数学史

非ヨーロッパ起源の数学―もう一つの数学史 (ブルーバックス (B-1120))みたび年越し本。まだ読みかけなのだけれど、ジョージ・G・ジョーゼフ『非ヨーロッパ起源の数学―もう一つの数学史 (ブルーバックス (B-1120))』(垣田髙夫、大町比佐栄訳、講談社)がとても面白い。タイトル通り、エジプト、バビロニア、古代中国、古代インド、アラビアなど非ヨーロッパ圏の数学の発展を、文献に残る具体的な数学問題を紹介しながら追っていくというもの。興味深いのは、そうした数学問題について、その文献に残る解法を近代的な解法と対照させているところ。たとえば、「ある数に1/4を加えると15になる。そのある数を求めよ」という問題は、現代の代数なら一次方程式でx + 1/4x = 15を解けばよいだけなのだけれど(答えは12)、エジプトの代数はこれを次のように解くという。ある数を仮に4だとすると、15となるべきところが5となる。5は3倍すれば15になる。よって仮定した4に3をかければ正しい答えになる……。これは記号式代数以前には一般的だった一次方程式の解き方だといい、ヨーロッパでもかつては用いられていたものなのだとか(p.115)。こういう「発見」がいろいろ詰まっていて飽きない。原著は1990年刊で、訳書も1996年刊。残念ながら出版社側の在庫切れらしいのだけれど(古書で入手可能)、ぜひ復刊してほしいところ。

数学の歴史 (放送大学教材)同じように例題などを交えながら、古代から近世までのヨーロッパの数学史ならびに和算をカバーしているものに、三浦伸夫『数学の歴史 (放送大学教材)』(NHK出版、2013)がある。こちらも通史的に全体を俯瞰できるところがとても有用だ。たとえばカルダーノ(16世紀)による三次方程式の解法。x^3 + 6x = 20を例にその解法が示されている。まずは6の三分の一である2を立方して8。定数部分(20)の半分を二乗すると100。これと8を足して108。平方すれば√108、これを2度作り、定数の半分である10を一方に加え、もう一方から引く。√108 + 10(二項和)と√108 – 10(二項差)。これらの立方根を取り、二項和の立方から二項差の立方を引く、と。

職人たちの幾何学知識(13世紀ごろ)

エリザベス・ジェイン・グレン「中世数学の伝達とゴシック建築の起源」(Elizabeth Jane Glen, The Transmission of Medieval Mathematics and the Origins of Gothic Architecture, Senior Honors Thesis, Sweet Briar College, 2005)という論考をざっと見。(1)イスラム圏の数学の発展、(2)イスファハンの金曜モスク、(3)アラビア数学流入前の西欧の職人的伝統、(4)シャルトルの大聖堂、(5)数学技法の伝達などを取り上げた論文。個人的には、とりわけ(1)と(3)が注目される。(1)では、フワーリズミー(9世紀)による代数学の確立(『約分と消約の書』)とヒンドゥーの数字表記の採用に触れたあと、10世紀の天文学者アブー・アル・ワファによる三角法への代数の応用が取り上げられている。『書記や商人にとって代数学の何が必要かに関する書』『職人にとって幾何学的建設の何が必要かに関する書』などがあるといい、それらの書は職人たちや金曜モスクの建設に影響を与えているらしい。さらに11世紀のセルジューク朝のウマル・ハイヤームの応用数学が言及されている。この人物も金曜モスクの建造に数学的検証関与しているのではないかとされる。

(3)では、そうしたアラブ経由での代数学などが伝わっていない時代の、西欧の建築職人らが受け継いでいた幾何学的伝統が取り上げられている(この話、少し前のメルマガNo.243の自由学芸についての連載でも触れたっけ)。ゲルベルトゥスによる理論幾何学の確立と並走する形で、ローマ時代の測量士以来の実践的幾何学が石工たちの間で受け継がれていたという話で、知識は基本的に師への見習い奉公を通じ、他の建物の検分や実地での試行錯誤の繰り返しで取得されるものだった。ロマネスクからゴシックへの様式の変化も、建物の大型化に伴う対応策の、試行錯誤の産物だったとされている。さらに具体的史料として、13世紀のヴィラール・ド・オヌクールによる画帖が紹介されていて、コンパスや直角定規を用いた測量についての記述が興味をそそる(当時は角度を度数ではなく直角三角形の辺の比で表していたとか、「アルキメデスの螺旋」がアーチの作成に使われていた(?)とか、面白い話が続いて、まさに読みどころ)。オヌクールの画帖はフランス国立図書館(BnF)のサイトで画像公開されている(http://classes.bnf.fr/villard/feuillet/index.htm)ほか、Wikisourceのページでも見ることができる(http://fr.wikisource.org/wiki/Carnet_(Villard_de_Honnecourt))。また、邦語で読めるオヌクールの画帖についての論文として、藤本康雄「ヴィラール・ド・オヌクールの画帖図柄の格子上分類配列」(大阪芸術大学紀要『藝術19』、1996)がPDFで公開されている。

オヌクールの自画像かもしれないとされる画(画帖より)
オヌクールの自画像かもしれないとされる画(画帖より)