翻訳がらみの話が続いているが、今度はホセ・マルティネス・ガスケス『中世ラテン語翻訳者たちのアラビア化学に対する姿勢』(José Martínez Gázquez, The Attitude of the Medieval Latin Translators Towards the Arabic Sciences, Sismel – Edizioni del Galluzzo, 2016)というのを読んでみた。小著ながら、これは本の作りそのものが興味深い。中世の主要な翻訳者たち(アラビア語からラテン語への)が、とくにそれぞれの訳書に付した序文を読み解いていくというもので、9世紀のアルヴァルス・パウルス・コルドゥベンシスから始まって、14世紀のペドロ4世(アラゴン王)まで、有名どころやそれほど有名でない向きなども含め、扱われている訳者たちは40人以上に上る。それぞれの序文の一部をいわばアンソロジー的に並べ、各人の訳業やスタンス、時代的・文化的背景などを紹介している。
ハッキングの同書は、第10章「根底的誤訳など現実にあったのか」もまた至極面白い。クック船長がオーストラリアで見慣れない生き物を指して原住民に尋ねたとき、原住民は「カンガルー」と言ったためにそれはカンガルーと命名されたが、それは実は現地語での「何て言った?」の意味だった、という逸話が、実は神話にすぎないことを説き証している。カンガルーは現地語で「ガングゥールー」というのだそうで、直示不良(とハッキングはそうした誤解を呼ぶ)ではない、という話。マダガスカルのインドリという動物にも同じような話があって、原住民が「あそこにいるぞ」と言った言葉が「イン・ドリ」で、それを聞いた博物学者ピエール・ソヌラが誤解したのだという。実はこれも同じような事例らしく(この話は辞書にまで載っていてタチが悪いようなのだが)、マダガスカル語の「エンドリナ」(キツネザルの一種)に由来していたという説もあるという。フランス語の明かり窓(vasistas)が、ドイツ語の「それは何(Was ist Das?)」から来ているという話も類似の例で、確かにそこに由来はするものの、外にある何かを見るもの、という機能に結びついた言葉であって、窓そのものが何かと問われていたわけではないらしい。こういう誤解というか、直示不良の罠というのはいろいろありそうだ。もちろん直示不良そのものはあってもおかしくないし、現にときおり生じるわけなのだけれど……。
先に挙げたエックハルト論と同じく、ソルボンヌでの講演にもとづく刊行シリーズから、ジェニファー・アシュワース『12世紀から16世紀のアナロギア理論』(E. Jennifer Ashworth, Les Théories de L’analogie du Xiie au Xvie siècle (Conférences Pierre Abélard), Vrin, 2008)というのを見てみた。100ページほどの小著ながら、なかなか深い内容なのだけれど、例によって、このところちょっとまとまった時間が取れないので、ザッピング的に荒っぽい読み。中世において「アナロギア」概念の受容と拡大の最初の契機は、これまた12世紀にアラビア文献(アヴィセンナ、アヴェロエス、アル=ガザーリーなど)でもたらされた「帰属のアナロギア」概念にあるという。アナロギア(類比)はもともと語がもつ微妙な曖昧さを、一意性と両義性の中間というかたちで捉えようとするもので、ここから、或るものが他のものと同属である(一方が他方に従属している)、あるいは両者は先行・後続の関係にあるという意味で両者が「似ている」とされる場合に、「アナロギア」の関係が論じられることになったのだという。トマスなどが言う存在の類比などもこの場合に相当し、存在者(有)という概念はそうした帰属のアナロギアに位置づけられる。
扱われているコーパスが興味深いこともあって(笑)、久々に語学系・言語学系の論文を見てみた。ローリー・ザーリング「OVからVOへの変化:古仏語からのさらなる証拠」(Laurie Zaring, Changing from OV to VO: More evidence from Old French, Ianua. Revista Philologica Romanica, vol.10, 2010)(PDFはこちら)というもの。古仏語において、「目的語ー動詞」(OV)の語順がいかに「動詞ー目的語」(VO)に移り変わったかという問題を扱っている。なかなか興味深い問題だ。この論考自体は、『ロランの歌』(1100年頃)と『聖杯の探求』(1230年から40年頃)を題材とした先行研究(マルチェッロ=ニジア)の拡張を目論んだもの。そちらではOVの語順が13世紀初めごろに基本的になくなる(VOが定着する)と結論づけているのだというが、こちらの論考はクレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァルまたは聖杯物語』(12世紀末)、ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの『コンスタンチノープル征服記』(13世紀はじめ)を取り上げて、OVの形が13世紀初めにいたっても、非定形動詞(過去分詞や不定詞)の場合に存続していることを示すという内容になっている。というわけで、以下メモ。まず論考は、OVの語順が最初に定形動詞からなくなり、その動きが非定形へと広がっていったらしいことを実例をもとに指摘している。次いで、13世紀に残存するOVの場合、12世紀のもののように目的語がその文の「話題」として強調されるようなこともなく、談話機能的な制約(前出の語などを参照したり、新たに提題したりする際の、文法上の制約)が少ないことも議論されている。