14世紀後半に活躍した唯名論者、インヘンのマルシリウスについての論考を読む。マールテン・フネン「<言葉の力>と三位一体:インヘンのマルシリウスと14世紀後半の神学の意味論」というもの(Maarten J.F.M. Hoenen, ‘Virtus sermonis and the Trinity: Marsilius of Inghen and the Semantics of Late Fourteenth-Century Theology’ in “Medieval Philosophy and Theology 10”, 2001)(PDFはこちら)。14世紀後半の神学思想の特徴は、なんといっても伝統への回帰にあるのだそうだが、その一方で論理学、数学、自然学といった諸学の方法論の影響から、神学にも新しい方法が持ち込まれるという動きもあり、そのあたりの摺り合わせが問題になっていたと著者は言う。パリ大学で活躍したインヘンのマルシリウスなどはまさにその「渦中」にあったらしい。というわけで、著者は三位一体をめぐる思惟についてマルシリウスの方法を追いかける。そこに見られるのは、論理学と伝統との対立で、その鍵となるのが「virtus sermonis(語法の効力?)」という概念だ。
久々に天使の意思疎通論を読む。ハーム・ゴリス「天使的博士と天使的発話」という論考(Harm Goris, ‘The Angelic Doctor and Angelic Speech: The Development of Thomas Aquinas’s Thought on How Angels Communicate’, Medieval Philosophy and Theology 11 (2003))(→PDFはこちら)。13世紀半ばにもてはやされた「天使はどんな言葉を交わすか」という問題をトマス・アクィナスはどう考えていたかについて、その経年別の思想的変遷を中心に手堅くまとめたもので、とても参考になった。ここで考えられている天使のコミュニケーションとは天使同士の意思疎通の場合。コリント書13.1の「もし私が人間や天使の言葉で話しても……」というのが、聖書での「天使の言語」に関する唯一の出典なのだそうだけれど、これをめぐって、すでにヘイルズのアレクサンダーの『神学大全』、ボナヴェントゥラ、アルベルトゥス・マグヌスなどが議論していたという。彼らはいずれも、天使の言語を人間の言語とパラレルなものと見なしていて、知的スペキエス(像、形象)のあり方として、理解(概念化)、獲得(定着)、伝える意志および表出といった段階があると考えていた(これはアレクサンダー、ボナヴェントゥラ、アルベルトゥスでそれぞれ用語が異なる)。トマスも初期には、アウグスティヌスを踏まえて心的概念、内的言語、知解可能な徴という区別(もしくは段階)を考えていた。アウグスティヌスを踏まえてとはつまり、思惟というのは内的言語だという考え方を前面に出すということ。しかしトマスはやがて、今度はアリストテレス的な可能的・常態的(獲得された)・現勢的知識という区別を適用して、天使における知性内の知解対象のあり方を、常態(獲得)、当人にとって現実態(理解)、他者にとって現実態(表出)という三区分とするようになる。理解(概念化)と内的言語を切り離し、三つめの外的な表出においてのみ言語が関与するという立場に転じたらしい。
13世紀のパリ大学で講義に使われたという、ディオニュシオス・アレオパギタの『神秘神学』ラテン語訳(エリウゲナ訳)ほかの編纂版(“A Thirteenth-Century Textbook of Mystical Theology at the University of Paris”, trans. Michael Harrington, Peeters, 2004)をゲット。訳者マイケル・ハリントンによる序文に早速目を通す。この序文、論文として実にうまい構成になっていて、『神秘神学』の翻訳史から始め(エリウゲナの前にヒルドゥインというサン・ドニの修道院長による訳があるという)、神秘神学に見られるプロティノスの引用箇所を検討した後、ギリシアでの注解の伝統を取り上げ(プロティノスからポルピュリオスへと至る、新プラトン主義の転換が反映され、世界霊魂は神に同一視されているのだとか←(これは要確認だな))、そこからエリウゲナ訳がディオニュシオスの原典をどう扱っているかへと進み、アナスタシウス訳のギリシアの注解やエリウゲナの著作に触れ、校注版本文の解説へと入っていく。特に指摘されているのは、「思考」と「一者との合一(神秘的上昇)」との関係の話。ディオニュシオスでは両者は明確に区別されているのに対して、エリウゲナ訳では全体にその区別が曖昧になっているという。選択された訳語など翻訳上の微妙な差異が入っているのだとか。ギリシアの注解の伝統にもそういう部分があるようで、そのあたり、エリウゲナがそちらの影響を多少とも受けた可能性もありそうだ。なかなか興味深い話になっているでないの。いずれにしてもエリウゲナ訳のテキストは、アナスタシウスの後も様々な修正や注解を経て、13世紀にまで受け継がれていく。かくして本書の本文をなす「教科書」も出来上がるというわけなのだが、さて、その出来はいかに?
このところMedievalists.netで紹介されている論文をダウンロードしてぼちぼちと読んでいるのだけれど、これがまた結構すぐに溜まっていく(苦笑)。ま、積ん読はいつものことか……。これまたそうしたうちの一つだけれど、デボラ・ブラック「ラテンおよびアラビア哲学におけるアリストテレス『命題論』」(Deborah L. Black, ‘Aristotle’s Hermeneias in Medieval Latin and Arabic Philosophy’ “Canadian Journal of Philosophy” suppl. vol. 17 (1992))(pdfファイルはこちら)という論考を読む。ラテン中世とアラビア世界との影響関係ではなく(というのも『命題論』の浸透はまったくの別ルートになっていて、直接的な影響関係がまったくないからだけれど)、むしろ両文化圏において『命題論』がどう受容されていたかを見ることで、それぞれの受容のフィルタリングがどのようなものだったかを考えるという、ちょっと興味深い視点に立っていて、とても興味深い。しかもそれを、「命題」そのものの定義や、名辞の扱われ方、非限定名辞(否定辞つきの名辞など)といったテーマごとに、両文化圏の解釈の違いをまとめあげている。ラテン中世の識者(ダキアのマルティヌス、ロバート・キルウォードビー、アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス)、アラビア世界の識者(主にファラービーとアヴィセンナ)それぞれの内部的な違いなども絡んで、なかなか読み応えのある議論になっている(と思う)。
テキストだけならオンラインでも手に入る『六原理の書』(Liber sex principiorum)だけれど、解説その他を期待して、羅伊翻訳本(“Libro dei sei principi”, trad. Francesco Paparella, Bompiani)を入手する。さっそく序文を読み始める。これ、中世の論理学の入門書として、実際に学校で使われていたらしいテキストブックの一つ。長らく12世紀のギルベルトゥス・ポレタヌス(ポワチエのジルベール)の書とされてきたものの、最近ではそのアトリビューションは否定されていて、逸名著者の作ということになっているらしい。基本的にはアリストテレス『範疇論』の10の範疇のうちの六つ(「能動」「受動」「時」「場所」「姿勢」「所有」)を簡便に解説している書。それに、一章目の「形」と最終章の「多い・少ない」(これも『範疇論』から)についての話が加わっている。全体として、より長い著作の一部だった可能性もあるという。