エンゲルベルク写本

久々に声楽曲を何枚か聴いているところ。そのうちの1枚がこれ。『エンゲルベルク写本314』(Codex Engelberg 314)。エンゲルベルクというとスイス山間部の町で、12世紀ごろからベネディクト会の修道院を中心として栄えた場所とか。で、14世紀後半に、その修道院の僧侶たちが集め編纂した歌集が、「エンゲルベルク写本314」というものなのだという。ラテン語のほかドイツ語の歌詞の曲も収録されているといい、当時のドイツ語圏音楽の一端が見られるものだという。以上ライナー。歌曲の多彩さもさることながら、ドミニク・ヴィラールの指揮でスコラ・カントールム・バシリエンシスの聖歌隊が演奏しているのだけれど、これがなんとも秀逸。実に柔軟に対応している感じ。透明感といいアンサンブルの調和といい、とても充実した時間が過ごせる。個人的には、お見事というしかない一枚(笑)。

天使の場所

久々にブログ「ヘルモゲネスを探して」をまとめ読み。「針先で踊る天使たち」というシリーズが続いていて興味深い。ちょうど『中世の哲学的問いにおける天使』(“Angels in Medieval Philosophical Inquiry”, ed. Isabel Iribarren & Martin Lenz, Ashgate, 2008という論集を読み始めたところで、これに、以前天使論の言語研究とかを出していたティツィアーナ・スアレス=ナニがスコトゥスがらみでの分離実体の場所論(位置論)を寄せていて、その前段部分が天使の場所論についての簡潔な整理になっている。

画域的(circumscriptive)場所と限定的(definitive)場所という概念を導入したのはペトルス・ロンバルドゥスなのだそうで、とりわけ非物体的被造物について言われるこの後者の概念の理解をめぐって、後世の議論が巻き起こるという。トマス・アクィナスは天使の場所のと関係は、その天使の知性的・意志的な作用から生じるとし(ゆえに天使は画域的にではななく、限定的に場所に関係する)「最小限」の場所性を唱える。ローマのジル(エギディウス・ロマヌス)はその説を踏襲し、天使が及ぼす作用(行為)は必ず場所に結びついており、よって天使も場所的に限定されるというふうに敷衍する。後のペトルス・ヨハネス・オリヴィになると、天使は行為のほかに、共存在や運動においても場所に関係するとし、作用のみに限定されない、場所との本質的な関係があるとする。同世代のアクアスパルタのマテウスは、作用による場所との関係説を斥け、被造物にはそもそも空間的な限定が内在していると論じるようになる。メディアヴィラのリカルドゥスも同様。こうした流れの中で、ドゥンス・スコトゥスの独特の場所論が登場し(場所を性質・本質とは見ずに、むしろ数量と形状として考える)、天使は必ずしも場所(自然の場所)では限定されないというテーゼが展開するのだという……。うーむ、スコトゥスの場所論・天使論はちょっと興味のあるところなので、近々メルマガのほうで取り上げようかとも思案中。

バスティード研究本

基本的に地図とか図面とか見るのが好きなのだけれど、そういう意味でもこれはとても楽しい一冊。伊藤毅編『バスティード―フランス中世新都市と建築』(中央公論美術出版、2009)。雑誌大の大型本で、写真や図面などを多数収録した「見て楽しい」研究書。前半はバスティードの総体を多角的に論じる総論、後半は代表的なバスティード都市を個別に詳述する各論という感じ。バスティードというのは、13世紀ごろから作られ始められたという中世の新都市のことなんだとか。領主間契約の存在とか、広場を中心とした格子状の町並みとか、いろいろ定義はあるらしいが、その輪郭は意外にぼやけているのだという。ローマの都市に代わるようにして成立してきたというそれらの都市群に、同書は様々な視点からのアプローチをかけている。これはなかなか面白そうな研究領域だ。編者が序文で述べている「都市イデア論」的な視点からのアプローチというのに、個人的には大いに興味をそそられる。

連続か断絶か

相変わらず養生中。このところビザンツ関連ものに目を通しているけれど、これまた基本図書と思える一冊を読み始める。井上浩一『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会、2009)。とりあえず第一部まで。ビザンツ世界がギリシア・ローマ文明と連続していたのか断絶していたのかをめぐって、ここでは都市の変貌から探りを入れている。4世紀から7世紀にかけて、ビザンツ世界では「ポリス」に代わって「カストロン」という語彙が都市を指すようになるというが、その内実はどう違っていたのかが取り上げられる。ポイントは二つで、一つは都市の自治の問題。もう一つは「パンとサーカス」と称される、パンの配給と娯楽施設の問題。いずれも都市機能的に大きく様変わりした様子が描かれている。他民族の侵入などはそうした変化のトリガーとして大きなものだったとされている。なるほど、都市の形態的な様変わりは、その都市が置かれた政治状況、文化状況をおのずと物語っているということか。

今年の『中世思想研究』

学会誌『中世思想研究』(51号、中世哲学会編)が今年も出ている。早速入手。冒頭、いきなり衝撃。存命とばかり思っていた山田晶氏が、2008年2月に亡くなられていたことを知る。いくつかの追悼文が捧げられ、業績一覧もまとめられている。2008年の年頭は、先の長倉氏といい、日本の中世思想史研究の重鎮が相次いで亡くなるというmauvaise saisonだったのか……。

収録論文では、このところの研究対象の多彩化という意味で、土橋茂樹「バシレイオスのウーシア – ヒュポスタシス論」が、バシレイオスの著作に見られるウーシア論の時代的変遷を描いていて興味深い。また、シンポジウムの報告、秋山学「ビザンティン世界における『知』の共同体的構造」は、ダマスコのヨハネ(ダマスクスのヨアンネス)を中心とした写本の製作・伝承の実態を浮かび上がらせようとするとても面白いもの。写字生たちの取捨判断というか、一種の「編集指向」のようなものが、合本形式の写本の異同から読み取れるという次第。