ゼレンカ

昨日は毎年のリュートの発表会。今年もケルナーとかビットネールの曲で臨むも、音ヌケとかミスタッチを乱発し、またあえなく撃沈(苦笑)。うーん、楽器の扱いはかくも難しいものなのだなあ、としみじみ。打ち上げでちょっと飲み過ぎて今日は一日中ぼーっとしていたけれど、そんな中、いつも通りクールダウンのためと称してCDを聴く。今回はリュート曲ではなく、普通に古楽もの。少し前に購入して積ん聴だったJ.D.Zelenka: Orchestral Suites, Trio Sonatas – 5 Capriccios, Concerto a 8 Concertanti, etc / Alexander van Wijnkoo(cond), Camerata Bern, etc)。5枚組の廉価版なのだけれど、とりあえず4枚目、5枚目のトリオソナタ集をかけっぱなしに。ゼレンカといえば、ボヘミア出身でドレスデンの宮廷楽長を務めた人物。あまり予備知識もないのだけれど、おー、バッハなどを彷彿とさせる曲想(っていうか同時代だからねえ)で、個人的にはとても乗れる。流しておくとちょっと集中力が高まってくる感じもする?(発表会前に聴いた方がよかったかしら?)。演奏はカメラータ・ベルン。録音はなんと1972年と1977年のもの。当時としては有名だった演奏だそうで。ライナーによれば、トリオソナタのパート譜には「バイオリンもしくはテオルボ」なんて書かれたものもあるというが、もう少し最近の録音ならテオルボが加わっているものもあるかも。ちょっと探してみようかしらん。

大英博物館双書

へえ〜、こんなのが出ていたんですねえ。ブライアン・クック著『ギリシア語の銘文』(細井敦子訳、矢島文夫監修、學藝書林、1996)。ギリシア語散策のついでにということで覗いてみた一冊。これがなかなか面白い。石板とか陶器類とかに記された銘文を解説した入門書。図版で様々な実例が紹介されている。復元の難しさみたいな話もあって、とても興味をそそられる。この本、「大英博物館双書 – 失われた文字を読む」というシリーズの一冊。このシリーズのラインアップがまた渋い(笑)。聖刻文字、初期アルファベット、くさび形文字、線文字B、エルトリア語、ルーン文字、さらにマヤ文字まである(!)。また、「数学と計測」なんて一冊も。すばらしすぎるっす(お恥ずかしいことに、これまでノーマークだった……(苦笑))。いくつか購入してみよう。

プセロス「カルデア古代教義概説」 – 4

8. Ἔχει δὲ περὶ αὐτὴν ἡ ῾Εκάτη πηγὰς διαφόρων φύσεων. Τῶν δὲ κατὰ τὸν ζωστῆρα πηγῶν ἡ μὲν φύσις τὸ τέλος συμπεραίνει τῶν τῆς Ἑκάτης νώτων ἀπαιωρουμένη· τῶν δὲ ἐν τῇ λαγόνι πηγῶν ἡ μὲν τῶν ψυχῶν ἐστι δεξιά, ἡ δὲ τῶν ἀρετῶν ἐν λαιοῖς.

9. Ὁ δὲ δίς ἐπέκεινα τάξιν μὲν ἔλαχεν ἐν ταῖς πηγαῖς δημιουργικήν, ὥσπερ ζωογόνον ἡ Ἑκάτη· αὐτὸς γάρ προὔθηκε τὸν τῶν ἰδεῶν τύπον τῷ κόσμῳ· καλεῖται δὲ δὶς ἐπέκεινα, ὅτι δυαδικός ἐστι, νῷ μὲν κατέχων τὰ νοητά, αἴσθησιν δὲ ἐπάγων τοῖς κόσμοις· ὁ δὲ ἅπαξ ἐπέκεινα λέγεται, ὅτι ἑνιαῖος ἐστιν· ἡ δὲ Ἑκάτη μόνον ἐπέκεινα.

8. ヘカテーの周りには本性の異なる複数の源がある。帯のもとにある源のうち、ピュシスはヘカテーの背中にぶら下がって完成を導く。側面にある源のうち、魂の源は右側、効力の源は左側となる。

9. 「超越的な二者」は、種々の源にあって、創造者としての序列を分かち合った者である。同じくヘカテーは、生命を付与する者の序列を得た者である。というのも、その者こそがイデアの刻印を世界に授けたからだ。「超越的な二者」と呼ばれるのは、それが二つの部分から成るからであり、知性のもとに知解対象を抱きつつ、世界に感覚を与えるのである。一方の「超越的一者」がそう言われるのは、それが単一であるからである。ヘカテーはというと、単に「超越的」であるにすぎない。

リュートtube – 11 再びムダーラのファンタシア

昨年末のクリスマスごろにアップされたtrolabe氏の演奏+イメージ画はなかなか見事なフォーマットだと思ったけれど、そのフォーマットを使って、今度はアロンソ・ムダーラのファンタシア10番が登場していた!わぉ、これはお見事。ムダーラの曲はこれに限らず超難しいけれど(苦笑)、とても味わいのある仕上がりっすね。前にジュリアン・ブリームの映像があったけれど(リュートtube 4)、それとはまた趣きの違った演奏が味わえる。今回はビウエラではなくルネサンス・リュートでの演奏。

イメージ論:始まりのアウグスティヌス

オリヴィエ・ブールノア『イメージを超えて – 中世5〜16世紀の視覚の考古学』(Olivier Boulnois, “Au-delà de l’image – Une archéologie du visuel au Moyen Âge Ve – XVIe siècle”, Seuil, 2008)を読み始める。仏語で言うところの「イメージ(イマージュ)」は内面的な想像力から外部の絵画まで様々な事象を言う多義的な言葉だけれど、これはその多義性をそのままに、中世のイメージの諸側面を広くほ渉猟しようという一冊らしい。まだ二章目に入ったところ。一章目はアウグスティヌスのイメージ論を手堅くまとめていてとても参考になる。ここでの「イメージ論」は「神の似姿としての人間」という聖書の解釈を中心としたもの。そこから「像とは何か」といった問題が切り出されるという次第。で、アウグスティヌスの場合4つほどの点で、先行する教父たちの伝統から隔たった革新的な議論になっているのだという。人間は子(キリスト)にではなく三位に共通するエッセンスに似せられている、とした点が第一点。「像であること」と「似ていること」の区別を廃した点が第二点。「似姿」と「像」を切り離さずに考察していることのが第三点。神の似像とは魂であって、魂と身体の結合体ではないとしたことが第四点なのだという。それぞれの詳しい議論とか、参照されているテキストとか、なかなか興味深いのだけれど、いずれにしてもこうしたアウグスティヌスの革新性というのが、どうやら同書を貫く縦糸をなしていくような気配だ。というわけで、これも読み進めながら面白い点があればメモっていこうっと。