スアレスの「作用因」論

再びデ・シェーヌのスアレスがらみの論文。『フランシスコ・スアレスの哲学』(この本自体は未入手)という論集に収録されている、作用因の問題を扱った一編「スアレスによる近接性・作用因論」(Dennis Des Chene, Suárez on propinquity and the efficient cause, The Philosophy of Francisco Suárez, Ed. Hill & Lagerlund, Oxford University Press, 2012)を読んでみた。もとは2008年にカナダで行われたスアレス・カンファレンスでの発表原稿らしい。で、中身はというと……作用因しか認めなかったデカルトは、基本的にそれは接触する物体同士の作用だとして遠隔的な作用を認めなかった。では同時代のアリストテレス主義はどうだったか。実はそちらにおいても作用因の理論はいろいろな要素が撚り合わされた束をなしていたという。スアレスにおいては、物体同士の間が空いている場合(デカルトもそうだが、真空は認められないので)、その間を埋めるものとして媒質を想定し(粒子論的に原因の連鎖だけを考えるデカルトとは異なるものの)、原則としてやはり接触するものにのみ作用が生じると考えている。つまり作用因による媒質への働きかけが生じ、さらにその媒質が離れた物体に働きかけるというわけで、働きかけそのものはもとの作用体と媒質とで同等だとされる(水中の像のように媒質が影響する場合や、作用因と媒質が部分的に結合して作用する場合などの例外あり)。

面白いのは、異論とスアレスのその対応。まず一つは影響圏の問題。これはつまり、接触するものを介して作用が伝わっていくのだとすると、どこまでそれが作用するのか、あるいは実際の現象として漸減はなぜ起こるのかが問題になる。スアレスによる対応では、もとの作用因がもつ力の制限に応じてその作用の範囲が決まり、また漸減もその作用因がもつ連合作用(媒質との同時的作用)の能力に依存する、とされる。あくまで大元の作用体の性質が問題なのだというわけだ。媒質への働きかけは原則として漸減などなく、オリジナルの作用体の働きかけをそのまま受け継ぐとされている。ところがこれがもう一つの問題を難しいものにしてしまう。それは光などの直線的な伝播の問題。太陽光はあらゆる方向に放射され、しかも直進するとされていたが、接触による作用の伝播という観点からすると、媒質の各点でも光源と同じく多方向性の放射がなされなくてはならないことになる。その場合、なぜ直進するのかという説明が難しくなってしまう。で、どうやらスアレスは、そのあたりの説明を事実上棚上げにしてしまっているらしい。媒質論の限界が一部露呈しているところがとても興味深い。

寄り添う哲学

先月の村上本に触発されて(笑)このところ、少しずつでもレヴィナスの未読のものを読もうかと思っている。レヴィナスは個人的に、なぜか主著ではないものばかりをつまみ食いしてきた感じがあって(『タルムード四講話』とか『貨幣の哲学』とか)、改めて少し長くこだわってみたいという気がしている。そんなわけで、まずは『われわれのあいだに』(Emmanuel Levinas, Entre nous – Essais sur le penser-à-l’autre, Livre de Poche, Grasset, 1991)。年代順に講演や雑誌発表の論考などを集めた論文集。もちろん邦訳(合田正人ほか訳、法政大学出版局)も出ているが、個人的にはできればレヴィナスは(も?)原典で味わいたいところだ。語彙ひとつとってみても通常とは違う意味合いが込められていると言われるけれど、そうはいってもなにやら普通にも読めてしまい、こちらが受け取る文意がどこからか微妙にずれていく感覚があって、滑走するような心地よさと、宙づりになっているもどかしさを両方感じ取ることができたりして、なんとも複雑な気分になる(決して悪い意味ではないし、そもそもそういうのは嫌いではないのだけれど)。ある種の人がとても「ハマる」らしいというのも頷ける。

冒頭の「存在論は根源的か」という短い論考は1951年初出のもの。当時の「現代的」存在論が、西欧の理論的伝統と断絶する形で実存に身を沈めているとの認識から、他者の問題についても知見の逆転を試みる。他者の理解というのはそもそもが存在の「開かれ」なのだといい、他者を独立した「モノ」のように扱わず、呼びかけ、祈り、語りかける宛先とすることこそが他者の理解なのだ、とレヴィナスは訴える。他者との関わりは突き詰めれば「祈り」に還元され、「理解」がそれに先立つことはない。これをレヴィナスはreligionであるとする。おそらくはreligionの原義である「強い(あらためての)結びつき」「再度の結びつき」ということなのだろうと思うけれど、いずれにしてもディスクールの本質はその「祈り」にある、とレヴィナスは断言する。

さらに他人との「遭遇」(接触)も逆転される。相手をモノのように扱うとは、要するに他人を「所有」するということになり、所有とはこの場合、存在する者としての相手を部分的に否認することになる。他人と「出会う」とは、そうした所有の拡がりの中にあって、相手を所有しないことだ、とレヴィナスは言う。相手を、たとえばレッテルを貼るなどして固定的に捉えることは、相手を抹消(抹殺)することでもあり、「私」は絶えずそういう抹消の望みとともにあるけれど、抹消が成就してしまえば、相手はこちらの手をすり抜けてしまう。このジレンマの中で相手と文字通り顔を突き合わせ対峙すること、それが遭遇(接触)のあからさまな姿にほかならない……ということなのかな(?)。この、境界線がどこかほつれるような、狭間の思考のような文面はたまらない魅力だ。まいど個人的な話で恐縮だが、認知症の親を相手に、理解しにくい奇行の闇と接していると、こうした文面はそこいらの安っぽい癒やしの言葉なんぞよりもよっぽど深い安らぎと残響をもたらしてくれるように思える。というわけで、いまさらながらだけれど、レヴィナスは新たな座右の書候補にすらなってきた(笑)。

デカルトからの反照

スアレス研の一環という意味合いも含めて、今年は少しデカルトの周辺、デカルト前史というあたりも眺めてみたいと思う。そんなわけで、まずはデカルトの同時代的なアリストテレス主義の話から。 『デカルト必携』という書籍(未入手だけれど)から、デニス・デ・シェーヌ(ワシントン大学、デカルトのほかスアレスなどの研究も多数あるようだ)担当の一章「アリストテレスの自然哲学:物体、原因、自然」(Dennis Des Chene, Aristotelian natural philosophy: body, cause, nature, A Companion to Descartes, Wiley-Blackwell, 2010)がPDFで公開されている。。同時代のアリストテレス主義の自然学がどのような問題を扱っていて、デカルトが対照的にどういう立場をとっていたかを手際よくまとめている。デカルトの参考書のためのものだけあって、アリストテレス主義側の具体的な事例は必要以上には詳述されていないけれど、大枠の理解としては参考になりそうだ。13世紀半ばから大学のカリキュラムに入っていたアリストテレスだけれど、16世紀後半には、それまでのアリストテレスの著作への註解ならびに問題の検証という形式が、主題別により体系的に内容を扱う講義もしくは教科書の体裁が確立する。スアレスの『形而上学討論』、ロドリゴ・デ・アリアガ『哲学教程』など。アリストテレスのような古典としての権威はなかなか崩れはしないものの、神はともかく人の権威者たちは、信仰の面でも経験上からも、少しずつ重みを失いつつあったという。デカルトの登場はまさにそれを体現している、と。

スアレスなどは、実体と様態を区別するとともに、いくつかの属性(量や色など)には「レス」(事物)という独立した地位を与えて、存在論的に独立したものと見なしているというが、デカルトからすれば実体と様態の区別以下は必要ない(神学の側がそうした区別にごだわるのは、実体変化の教義を説明づけなくてはならないから)。また、アリストテレス主義が(というかトマス主義だけれど)すべての事物に一つの実体的形相と偶発的な属性の変化を認めるところで、デカルトはその粒子論的な立場から、実体的と偶発的の区別は不要だと考える。「量」については、スアレス(とペドロ・ダ・フォンセカ)はそれが質料に拡がり(extension)をもたらすものであるとして、拡がりに現勢態と潜在態を区別するが、対するデカルトは拡がりは一様でしかないとし、そこに実体と量との区別を認めない。そもそもの質料についても、スアレスは質料が量を受容できることが形相と結びつく前提条件としているのに対して、デカルトはそもそも物体それ自体が実体であり「形相」に相当するものは拡がりにほかならないとする……。ほかに原因論についてもこうした立場の違いが明確に整理されているわけなのだけれど、こうして見ると、やはりそれぞれの議論に、ここで整理されている以上の細かい記述を具体的な著書なり思想家なりに沿って見ていきたい気分になる。デカルトの周辺・前史への取り組みは、おそらくそういう形を取っていくのが望ましいかな、という感じ。

錬金術書のわかりにくさ

錬金術書を扱った論考を二つほど見てみた。一つは『太陽の光輝』についての文献学的な論考(Jörg Völlnagel, Harley MS. 3469: Splendor Solis or Splendour of the Sun – A German Alchemical Manuscript,The Electronic British Library Journal, 2011)。『太陽の光輝』は著名な錬金術書で、細密画を伴ったなかなか豪勢なもので、1530年頃のベルリンの写本がオリジナルだとされているのだとか。論文著者は博論(書籍として刊行されている)でそのベルリンの写本を扱い、そこからいくつかのコピーが作られていることを示したのだそうだ。で、こちらの論考では別のハーレイ写本(ロンドン)を扱っている。『太陽の光輝』の作者はパラケルススの師匠だったといわれるサロモン・トリスモシンだとされているけれど、そもそもこの人物自体が伝説上の人物かもしれないという。論文著者によれば、この書はそれ以前の15世紀の複数の錬金術書を下敷きに一種のパッチワークとして書かれているといい、主なものとして1410年の『立ち昇るアウローラ』(Aurora Consurgens)を挙げている。とりわけ興味深いのは、オリジナルのベルリン写本の細密画について、論文著者はアウグスブルクの画家イエルク・ブロイ(父)が作者である可能性を指摘している点。ブロイの手による蔵書票の絵が、様式として似ているというのだけれど、ちょっとよくわからんような……。あとハンス・ホルバイン(子)の影響も指摘されているけれど、これもよくわからない(どうやら同著者による書籍のほうに詳しいらしい)。さらに当時流布していたほかの絵入りの錬金術書(『神の賜物』『哲学者たちの薔薇園』『聖三位一体の書』)の図像がもとになっているともいい、なにやら著書の予告編を見せられている気分。うーむ、これでは本編が読みたくなってくるではないか(笑)。

もう一つはベルリン州立図書館所蔵の、アラビア語の錬金術語彙集についての考察(Gabriele Ferrario, Understanding the Language of Alchemy: The Medieval Arabic Alchemical Lexicon in Berlin, Staatsbibliothek, Ms Sprenger 1908, Digital Proceedings of the Lawrence J. Schoenberg Symposium on Manuscript Studies in the Digital Age, vol.1)。シュプレンガー写本1908というそれは、語彙集とアラビア語版の『明礬と塩の書』(Liber de aluminibus et salibus)が入っているのだという(この後者はかつてアル・ラーズィーの書とされたものの、今では否定され、12世紀スペインでの編纂とされているのだとか)。で、問題とされるのが錬金術の語彙。いろいろな用語が様々に言い換えられ、しかも文脈の判断も難しいため、判読するのはひどく難儀である、とされる。語彙集はそうした言い換えを集めてはいるというものの、確かになにやらひどく錯綜していることが窺える。『明礬と塩の書』での一例として、何かの操作のための鉛の準備の記述が紹介されているのだけれど、いきなり最後のほうで「ビネガーと鷲を入れれば、最良の結果が得られる」みたいなことが書かれていて、この鷲というのは何かがまるでわからない。語彙集によればそれはどうやら塩化アンモニアらしいということが分かるのだという。けれどもこれは良い例で、実際にどんな成分を用いるのか特定するのが不可能な場合も多いという。言い換えやその組み合わせはほとんど無限。だからこそ、今の時代の研究として、校注版作成のためにデータベースの確立などデジタルメソッドが必要だ、と著者は説く。

Splendor solis、Harley MS 3469
Splendor solis、Harley MS 3469

「悪魔の肖像」

今年はちょっと美術史家のダニエル・アラスを著作をいろいろ読んでいこうかと思っている。で、第一弾として『悪魔の肖像』(Daniel Arasse, Le Portrait du Diable, Les éditions arkhê, 2009)を早速見てみた。小著ながらなかなか読ませる。中世末期からルネサンス期にかけての悪魔の表象をわずか70ページで駆け抜けるというもので、2003年に59歳で急逝してしまわなかったなら、たぶんもっと長大な著作の緒論になるはずだったのではないかしら、と思われる。そんなわけで、扱われている絵画の例も少ないながら、全体の見取り図を要所要所を押さえて示そうという意図は逆に鮮烈に伝わってくる感じだ。

中世末期ごろの宗教画において悪魔の怪物的な形象は、神の創った秩序を否定するという明確な役割をもっていた。宗教画は悪魔が誘惑者であることを見る者に示し、信者の行いを正し告げるという機能を携えていて、そのため悪魔の像は「聖なる恐怖」を喚起するものでなくはならなかった。ところが、その後人文主義が台頭し、信仰がモラル化・個人化していくとともに悪魔の形象も内在化していき、より哲学的・アーティスティックな次元が加わって怪物的な形象ではなくなっていく。絵画そのものも、もはや想起の機能を担っていた宗教画ではなく、古典的レトリックにもとづく場面を描くものになり、悪魔も恐れを喚起するのではなく、芸術家への敬意を想起させるものになる。悪魔の顔は人間の顔の戯画で表されたりもし、グロテスク(滑稽・怪奇趣味)が幅を利かす。トリエント公会議(1545〜63)後は、教会はグロテスクの使用を糾弾するようになるが、一方で地獄にいる、あるいは暴力行為におよぶ人間の表象には悪魔的表象の適用が許され、こうしてある意味、悪魔は人間と外延を共有するようになる。理想美の歪曲、醜悪さが悪や罪の表象とされ、人相学的な考え方が前面に出てくる。逆に悪魔の表出は、悪魔憑きとたとえば公開での悪魔払いなどの形を取り、そういう形でしか見られないもの・表象化できないものとなっていく。かくして内面化は一つの完成を見る……というわけだ。大まかにはこうした流れに沿って、同書では30点ほどの絵画が挙げられているのだけれど、うーむ、これではまったく見足りない(笑)。小著なので仕方がないのだけれど、個々の論点ごとにもっと多くの事例を挙げてほしいところだ……。というか、そういう補完でもって「ありえたかもしれない大部の著書」を想像してみたくなってくる。