エリザベス・ジェイン・グレン「中世数学の伝達とゴシック建築の起源」(Elizabeth Jane Glen, The Transmission of Medieval Mathematics and the Origins of Gothic Architecture, Senior Honors Thesis, Sweet Briar College, 2005)という論考をざっと見。(1)イスラム圏の数学の発展、(2)イスファハンの金曜モスク、(3)アラビア数学流入前の西欧の職人的伝統、(4)シャルトルの大聖堂、(5)数学技法の伝達などを取り上げた論文。個人的には、とりわけ(1)と(3)が注目される。(1)では、フワーリズミー(9世紀)による代数学の確立(『約分と消約の書』)とヒンドゥーの数字表記の採用に触れたあと、10世紀の天文学者アブー・アル・ワファによる三角法への代数の応用が取り上げられている。『書記や商人にとって代数学の何が必要かに関する書』『職人にとって幾何学的建設の何が必要かに関する書』などがあるといい、それらの書は職人たちや金曜モスクの建設に影響を与えているらしい。さらに11世紀のセルジューク朝のウマル・ハイヤームの応用数学が言及されている。この人物も金曜モスクの建造に数学的検証関与しているのではないかとされる。
先日取り上げたペトラルカ主義がらみということで、アビゲイル・ブランディン「ペトラルカ主義・新プラトン主義、そして宗教改革」(Abigail Brundin, Petrarchism, Neo-Platonism and Reform)という文書を見てみた(PDFはこちら)。実はこれ、同著者の『ヴィットリア・コロンナとイタリア宗教改革の精神詩』(Vittoria Colonna And The Spiritual Poetics of The Italian Reformation, Ashgate, 2008)という書籍の序文とのこと。けれども単体の論文として読んでもなかなか興味深い。文学系の論考ではあるけれども、とりあえずメモしておこう。
カム・リンドリー・クロス「あのメロディアスなリングイスト:キリスト教・イスラム教の鳴禽類における雄弁と敬虔」(Cam Lindley Cross, That Melodious Linguist: Eloquence and Piety in Christian and Islamic Songbirds, University of Chicago, 2010)(PDFはこちら)という論考を読んでみる。鳴禽類(鳴き鳥)が中世においてどのように表象されていたかを考察する論考。この前半部分がとりわけ面白い。鳥は古くから聖霊の世界の近く(この世の最果て)に住むとされ、秘密の言葉で秘められた知識を担っている存在として、あるいは天からのメッセージを運ぶものとして描かれていたという。ユダヤ教やイスラム教では、ソロモンがその言葉に通じているとされていたし、キリスト教のイコノロジーでも聖霊が鳥の姿を取るといった描写があった。鳥はその後の西欧の文学的伝統でも、またイスラム圏の文学でもそれぞれ様々に描かれているものの、その背景には人間と動物の関係をどう見るかという問題が横たわっている、と論文著者は言う。アリストテレスは、動物が知性に類する属性を持つ場合もあるが、それは生理学的な偶然によるものだとしているし、後世のデカルトなどは動物は完全に魂のないオートマトンだとしているわけだけれど、たとえばアルベルトゥス・マグヌスなどは、鳥のささやきはつがいを求めるなどの様々な欲望によって生まれ、霊的な軽妙さゆえにほかの動物の声を真似ることもでき、一方でそうした軽妙さは鳥にある種の賢さをもたらしている、といったことを述べているのだそうな。記憶や想像力、推測、同意といった知的機能を、鳥は備えているかもしれないというわけだ。そうしたニュアンスに富んだ見方は、アヴィセンナなどのイスラム圏の思想から受け継いだもの、とされる。イスラム圏においては、動物は人間の所有物などではなく、神に直接帰されるものとして考えられており、人間と動物を基本的に分け隔てる考え方は見出されないという。アリストテレス思想の受容後もそうで、たとえばアヴィセンナは、動物が危険や利益などといった抽象的な普遍概念を、知覚機能を通じて認知できるとしていたのだ、と……。近年、認知言語学との絡みで鳥の鳴き声のパターンなどが分析されたりしているけれど、そうした研究の源流にはアルベルトゥスがいる、なんて考えるとなかなか興味深いかも(笑)。