このところ少し中世プロパーなところから離れたアーティクルが続いているが、それは少しばかり、後世からその時代が回顧的にどう見られていたのかを改めて眺めてみたいと思っているため。というわけで、今度はガッサンディについての概説書を見てみることにした。アントニア・ロロルド『ピエール・ガッサンディと初期近代哲学の誕生』というもの(Antonia Lolord, Pierre Gassendi and the Birth of Early Modern Philosophy, Cambridge University Press, 2007)。ガッサンディの生涯から始まって、その思想をテーマごとにまとめてみせている。個人的にはまだ冒頭のあたりをうろうろしているだけだけれど、ポイントがまとまっていて役立ちそうだ。とりあえず、第二章「ガッサンディの哲学的対立者たち」が面白い。ガッサンディがアリストテレス主義、世界霊魂論、デカルト派などをどう批判しているかをまとめている(以下メモ)。
ジャン=イヴ・ボリオー編『カルダーノの科学思想』(La Pensée Scientifique De Cardan (L’ane D’or) , dir. Jean-Yves Boriand, Les Belles Lettres, 2012)という論集を読み始めた。カルダーノが関わった学知(魔術、占星術、医学などなど)を網羅するよう、各分野の論考がまとめられている。そんな中、ほかであまり取り上げられない数学に関するものも2編ほど。そのうちの一つ、エヴリーヌ・バルバン「三次の継承:カルダーノ、ヴィエト、デカルト」は、四次方程式(三次方程式はカルダーノの解法が有名だが)について、カルダーノとその少し後の世代であるフランソワ・ヴィエトやデカルトの捉え方の違いを浮彫にしている。というわけで簡単なメモ。ヴィエトはギリシアの幾何学における補助線による処理(立方体を二倍にする、あるいは角を三分割するといった問題について)を、三次・四次の方程式の解に応用できることを示したといい、またデカルトはさらに進んで、幾何学の問題の解法を方程式を解くことに帰着させていた(カルダーノ式の解法)ものの、放物線と円の作図による解法を好んでいたという。これらに対しカルダーノは、四次方程式についてもひたすら幾何学的な表象を追い求めていく(立体の分割問題)。いわば前二者に対して方向性は逆になっている。
先日のクザーヌス話でも出てきたピコ・デラ・ミランドラ。その代表的な哲学的著作をまとめた一冊を読み始める。羅仏対訳の『ピコ・デラ・ミランドラ、哲学作品集』(Pic de la mirandole, Oeuvres philosophiques (3e ed), trad. Oliver Boulnois et Giuseppe Tognon, PUF, 2012)。収録されているのは、『人間の尊厳について(の演説)』『存在と一』『ヘプタプルス』(創造の六日間についての註解)の三作。これに巻末付録としてオリヴィエ・ブールノワの「人文主義と人間の尊厳」という論考が添えられている。とりあえず、最初の『人間の尊厳について』(以下『演説』)を眺めてみたのだけれど、人間は固有の本性をもたないカメレオンであり(有名なくだりだ)、みずからその本性を選び取る存在であると、その自由意志を高らかに謳い上げている。そういえばかなり前に取り上げた『イタリア・ルネサンスの霊魂論―フィチーノ・ピコ・ポンポナッツィ・ブルーノ』では、伊藤博明氏がこの『演説』の人間観と『ヘプタブルス』『ベニヴィエニ註解』などの人間観との比較を行い、宇宙の階層における人間の位置づけと、人間=ミクロコスモスという図式の両方から、この『演説』の人間観が逸脱していることを指摘している(!)。