【基本】トマス・アクィナスと「非在のもの」

トマス・アクィナスの真理論が「実在」をもとにしていることはどこかで読んだ気がするのだけれど、不在の事物、存在しない事物についての真偽問題などはどうなっていたっけな、と思い、少し前に確認しようと思ったものの、その後忘れていた(苦笑)。で、たまたま、まさしくそういう論考に出会う。グロリア・ワッサーマン「非在のものの真に関するトマス・アクィナスの論」(Gloria Wasserman, Thomas Aquinas on Truths about Nonbeings, Proceedings of the American Catholic Philosophical Association 80, 2006)。トマスの場合、知性にとっての真とは、事物の実在に結びついている。命題が知性にとって真であるのは、その項が実在の事物を指している場合だというわけだ。けれども非在のものを扱った命題が真であるという場合もある。その場合の命題が真であることは何によって担保されるのか。これをトマスの『真理について』を読み解くことで解決しようというもの。それによると、非在のものを、存在が否定された場合や、なんらかの欠如を伴った存在の場合と定義づけることによって、トマスはそれがやはり当の事物の実在(否定されない、欠如のない)を前提としていることから、その真偽は当の事物の実在によって規定される、と考えている。

でも、これだと完全な虚構物のような場合(一角獣とかキマイラとか)は、真偽が担保されない、そもそも真偽が問題にされえないのではないか、ということになりそうだけれど、その場合についてもトマスは、同じラインに沿った回答を用意しているようだ(と論文著者は読み解く)。つまりそうした虚構の事物についても、それが実在するものを基礎としている(一角獣は馬を基礎にしているし、キマイラも混合する動物を基礎としている)限りにおいて、同じくその実在によって規定されうるのではないか、と。このあたりはテキストベースに寄りながらも、少し論文著者の推論も入っているようなのだけれども。いずれにしてもその背景には、命題を真にするものは、神の外にはない、神の恒久的な知性のうちにしかない、という神学的確信がある。