プロテスタントとスコラ主義

改革派正統主義の神学―スコラ的方法論と歴史的展開宗教改革以降の神学についても概略を押さえておきたいと思い、ちょうど出ていたW. J. ファン・アッセルト編『改革派正統主義の神学―スコラ的方法論と歴史的展開』(青木義紀訳、教文館、2016)にざっと目を通した。本格的論文集かと思いきや、なんとプロテスタント神学(という言い方を同書はあえてしていないのだけれど)の歴史にまつわる入門書。こちらとしては願ったり叶ったりという感じだ。全体的な流れが掴めるようにとの配慮から、先行するカトリックのスコラ学の概要や、それを支えたアリストテレス思想の概要までちゃんとまとめてある。そして本題となる「改革派」の神学。そちらも年代区分を設定し(1560年から1620年の初期正統主義時代、1700年ごろまでの盛期正統主義時代、1790年ごろまでの後期正統主義時代)、それぞれの概要や代表的論者のサンプルを紹介している。

原書が2011年刊ということで、迅速な邦訳刊行。近年の研究動向が様々に指摘されていることなどもあって、重要視されているのかもしれない。全体を貫くのは、歴史的な連続の相で(断絶ではなく)宗教改革の動きを見ようとする視点。たとえばルターの有名な提題は、スコラ的な方法論の最たるものである神学討論を申し込むという形を取り、その行動そのものはきわめて中世的だったと見ることもできるという(p.87)。人文主義全般もまた、方法論的には中世のスコラとの連続性の中に立っていたとされる。1500年前後の大学の歴史からは、スコラ主義と人文主義の深刻な対立などなかったことがわかってきているという(p.116)。カルヴァンにしても、その批判対象はスコラ的伝統そのものではなく、あくまでソルボンヌの後期唯名論神学だといい、『キリスト教綱要』においては古いスコラ的分類を採用したり、その有用性を認めたりしているのだという(p.119)。歴史的な像は少しずつ塗り替えられているという次第だ。

また、もう一つの全体的な視点として、改革派神学の多様な系統という論点がある。改革派スコラ主義の評価はもはや、たとえばカルヴァン一人だけで代表させるわけにはいかない、とされる(p.268)。いきおい、歴史記述は群像劇的になってこざるを得ないというわけだ。○○主義と言及してよしとするわけにはもういかない、と(p.271)。それはどんなモノグラフについても言えることで、歴史研究の醍醐味はまさに、微細な部分にいかに入り込み、様々な水脈をいかにすくい上げるかというところにあり、研究全般がますますそうなってきている印象だ。