図録には今一つ食指が動かなかったので、何か関連する面白い書籍は出ていないかと思っていたら、フランスでちょうど(たぶんラスコーIVに合わせて)、いわば先史時代に関する諸説の総覧的な解説書が出ていたので取り寄せてみた。グウェン・リガル『洞窟の聖なる時代』(Gwen Rigal, Le temps sacré des cavernes : De Chauvet à Lascaux, les hypothèses de la science, “Biophilia”, Éditions Corti, 2016)というもの。長年ラスコーIIのガイドをやってきたという著者が、洞窟絵画を中心にクロマニョンの文化をまさに語り尽くすという一冊。前半はクロマニョン人の生活などをめぐる考古学的総覧、後半は洞窟絵画をめぐる諸説についてのまとめ(アニミズム、シャーマニズム、トーテミズムなどなど)。ルロワ=グーランの50年位前の学説から、近年のショーヴェの洞窟発見に伴う洞窟絵画表現の進歩史観の見直しまで、こんな解釈もあればあんな解釈もあると、総花的な記述が主なので、分量もずっしりという感じになってしまっているが、学説のインデックスとして利用することはできそうだ。個人的にはその絵画表現の進歩史観の見直しというあたりに、とりわけ関心が向く。94年発見のショーヴェ洞窟(フランス、アルデーシュ県)の絵画表現が3万7000年前(最古のもの)にしてすでに完成の域に達していることを示しているといい、表現様式は単純なものから複雑なものへと移行していくという年代記的な見方を過去のものにしている、とされている。この、一揃えがパッと突発的に出てくるというビジョンも、もしかしたらアリなのではないかと最近は改めて思うようになった。いわゆる芸事やその他知的諸活動は(些細なものも含めて)、少数の瞬発的な才覚をもつ人々と、それを模倣し拡散していくより多くの人々があってはじめて広がるのではないか、と。そしてそれは、何も現代人に限ったことではないのかも、と……。
オリヴィの論と平行して、メディアヴィラのリカルドゥスによる悪(悪魔)についての論も読み始めた。ものは『討論問題集』の問題23から31、底本とするのは羅仏対訳・校注本の第4巻(Richard de Mediavilla, Questions disputées: Tome IV, Questions 23-31, Les Demons (Bibliotheque Scolastique), Paris, Les Belles Lettres, 2011)。オリヴィによる悪の定義が、たんなる善の否定にとどまらず、存在論的な実体としてあることを謳っていたのとは対照的に、リカルドゥスはアンセルムス以来の「善の不在・欠如」としての悪を、とことん突き詰める方向へと向かうようだ。冒頭の問題23では、まずその善に不在・欠如としての悪の事例として、自然の法に従わないことによる生成力・形成力が怪物を生む、といった例が出されている(第1項)。次いで天使の堕落(最初の罪)もまた、存在そのものの善性と不整合であるという意味で不在・欠如をなしていると解釈される(第2項)。
そちらも同じ叢書から校注・対訳本が出ている。アラン・ブーロー校注・訳のペトルス・ヨハネス・オリヴィ『悪魔論ーースンマ第二巻問題40から48』(Pierre de Jean Olivi, Traité des démons: Summa, II Questions 40-48 (Bibliothèque scolastique), éd. Alain Boureau, Paris, Les Belles Lettres, 2011)がそれ。概要を記した同書の序文によれば、オリヴィの論の特徴は、(1)アンセルムス的な、悪の存在論的不在を否定し、(2)悪を自由のもう一つの面であると規定し(スコトゥスの先駆)、(3)悪魔の失墜を終末論的図式から解釈して人間による未来の行為の可能性を開き、(4)理性をもった被造物(人間、天使、悪魔)を、地位として近く、変動的な存在と位置づけていることにあるという。