プロティノスのディアレクティケー論 – 1

Traite 20 Qu'est-ce Que La Dialectique? (Bibliotheque Des Textes Philosophiques)ピエール・アドが始めたプロティノス『エンネアデス』の新訳プロジェクト。その一つとしてヴラン社からジャン=バティスト・グリネによる『プロティノス第20論文』の訳と註解が手軽に読める版で出ている(Jean-Baptiste Gourinet, Traité 20 : Qu’est-ce que la Dialectique? (Bibliothèque des textes philosophiques), Librairie philosophique J. Vrin, 2016)。第20論文というのは、一般に用いられているポルフュリオスの分類ではなく、執筆順での番号による20番目。これがとりわけ重要とされるのは、プロティノスがディアレクティケーや論理学について語った唯一のものだから。というわけで、この註解も少しゆっくりと眺めていこうと思うのだけれど、まずは巻頭の総論(pp.7 – 45)。これが実に面白い。とりわけ注目される内容は「なぜプロティノスはこの論を書いたのか」、「それはいかに、どのようなテーマで書かれているのか」、「後代への影響は」というあたり。

一つめの「なぜ」については、ディアレクティケーの理解が関係しているという。プラトンはそれを真の哲学と位置づけ、対話(応答)の学として、感覚的な多性を知性的な一性へと至らしめるための重要な技法と見なされていた。ところが弟子のアリストテレスによって、それは三段論法の一形態へと縮小され、論理学は哲学の「道具」として位置づけられる。その後、アフロディシアスのアレクサンドロスなどによって、ストア派の考え方を取り込んで論理学は哲学の道具ではなく「一部」だとされる。この二つの流れが伝統として存続することとなり、中期プラトン主義もこの後者のディアレクティケー理解を継承することになる。たとえばアルキノオスはディアレクティケーと論理学を区別なく用いるようになり、いずれにしてもプラトンが本来考えていたであろう感覚的なものから知性的なものへの遡及という側面はほぼ抹消されてしまう。で、プロティノスが異を唱えるのは、まさにそうした文脈、そうした理解に対してだった、というわけだ。

二点めの「いかに」については、強調されているのはプロティノスがプラトンの複数の対話篇を引用しつつ、ディアレクティケーの統一的・階層的なビジョンを体系的に練り上げていること。引用そのものも、もとの対話篇の文脈を想起させるような、示唆的・要約的な仕方でなされているとされる。で、そこから浮かび上がるフロネーシス(深慮)としてのディアレクティケー理解についても、それ自体がより一般的な役割を果たす倫理的な徳とされる点で、アリストテレス的な推論的な徳(自然的な徳を完全な徳へと変える中間的なもの)とは一線を画しているという。

三つめの後世への影響という点では、プロティノスの特徴的なスタンスとされる論理学とディアレクティケーの切り離しが、とりわけプロクロスが『パルメニデス注解』などに継承されていることが強調されている。とはいえ、プロクロスの弟子にあたるアンモニオスになると、むしろアフロディシアスのアレクサンドロス流に、ディアレクティケーは論理学もしくは三段論法の一部に取り込まれてしまっていたりするのだとか(しかもこれは意図的な選択だと、著者のグリネは考えている)。プロティノス的なディアレクティケー理解が再び取り上げられるのは、ルネサンス期のフィチーノを待たなくてはならないのだとか。個人的にもちょうど、中断していたプロクロスの『パルメニデス注解』の読み進めを再開していることもあり、プロティノス的なディアレクティケー理解の痕跡は、いたるところに感じられる気がしている。そのあたりはまた改めて取り上げたい。

フランス近現代のプラトン受容 – 4 (フーコー、ドゥルーズ)

プラトンとフランス現代哲学』は、ヴェイユの後から第二部に突入する。ここから論文の趣向が変わり、フランスの現代思想(旧)の巨匠たちにおけるプラトンへの関わりが検討される。それまでの「研究者たち」にとっての「受容」とは違う側面が前面に出てくる。プラトン受容史というお題目からややずれていくような感触もなきにしもあらずだが、さしあたりざっとまとめておくことにしよう。

まず取り上げられるのはフーコー。フーコーの「自己への配慮」または「精神の鍛錬」の議論は、歴史家・文献学者のピエール・アドの議論に触発されたところが大きいとされるが、その両者のプラトンとの関わりについて相互の差違を明らかにしようというのが、アニッサ・カステル=ブシュシの論考。アドが主張する、古代世界の哲学とは生き方の選択にほかならないというテーゼは、ときにあまりに漠然としているとの批判も買ってきたらしいが、全体としては広範に適用可能なテーゼであり、たとえば精神の鍛錬という概念についても、アドのそれは、主体の修正・変容のなすための実践全体を包摂するのに対し、フーコーはそれを禁欲を構成する諸実践のような、より狭い領域・意味で見いだそうとする。実際アド自身が、フーコーの議論は「自己」にあまりに集中しすぎていると批判しているという。存在の美学や自己の彫琢といった狭い意味合いをアドは認めず、フーコーの議論に見られる「自己の内在化」の動きには、別種の動きないし別の在りよう、つまりおのれが普遍的理性などの一部をなしているといった、世界との別様の関わり方が必要になるのではないか、とアドは言う。論文著者によれば、アドの関心は、哲学が真理を越えて自己との関係を変貌させるその仕方に向けられている。対照的にフーコーは、形而上学的な側面、魂と身体の分離(つまりは死の問題)といった次元にさほど関心を向けないことも指摘されている。かくしてこの論考は、以前から漠然となされてはいたフーコー批判を、改めてアドを通してまとめたという感じの一篇になっている。

続いてエルザ・グラッソの論考はドゥルーズとプラトン主義の関わりを扱ったもの。ドゥルーズはストア派的なものの再解釈の立場を取り、もとよりプラトン思想には批判的だ。実際、イデア論が立脚するモデルと像というそもそもの対立図式をドゥルーズは批判してみせ、それらを生成変化という観点から存在論的一義性に帰そうともする。論文著者が示唆するように、これはまさに形而上学的な転覆だ。けれども、と論文著者は言う。実はプラトンそのものが、同時代的なミメーシスの混乱(ソフィストたちの乱立状況か)をみずから捌いてみせたという経緯があり、あらゆるものをシミュラークルに帰すというドゥルーズの哲学は、実は批判対象の当のプラトンに意外に多くを負っているのではないか、反プラトンでありながらも、根底はプラトン的(もちろん教条的プラトン主義とは異なる)ではないか、と。またこれは、上のフーコーのスタンスとも対照的ではある。

デッラ・ポルタの自然魔術本

自然魔術 (講談社学術文庫)最近は『ピカトリクス』の邦訳(『ピカトリクス―中世星辰魔術集成』、大橋喜之訳、八坂書房、2017)も出るなど、魔術についての学術的な研究環境も大きく前進している気がするが、「魔術」つながりということで(笑)、文庫化されたジャンバティスタ・デッラ・ポルタ(16世紀)の『自然魔術』の邦訳を覗いてみた(自然魔術 (講談社学術文庫)』、澤井繁男訳、講談社、2017)。もとは1990年の青土社刊。書名こそ魔術という名がついてはいるけれど、錬金術や蒸留などの、操作的記述が色濃い一部の章を除き、中味は自然的事物についての知識の集成という側面が強い。古代から中世までの自然学的な知識を集成した百科全書的なもの、という感じか。でも、薬草ほかの記述は、ディオスコリデスなどに依拠していたりして、なかなか興味深いものがある。抽象的・体系的な議論にはほとんど関わらず、実用的と称することのできるような記述が多い。当時の実用書を目指していたような印象だ。実際、この『自然魔術』のほか、デッラ・ポルタのいくつかの書は、当時ベストセラーになっていたとのこと。また、学識者にはあまりウケなかったともいう。学知の普及者としてのデッラ・ポルタ、というイメージか。でも残念ながら同邦訳は抄訳。訳出されていない部分とかが気になるところ。たとえば、同書には「不可視の筆記について」という面白い章があるが(スパイっぽく秘密のメッセージなどを送る方法について記されている)、YouTubeにあるような、卵の内部にメッセージを入れる方法とかが含まれていない。ちょっと残念。訳者あとがきによれば、1589年版の『自然魔術』全体はこの抄訳の3倍ほどになるらしいのだが、それくらいなら全訳を刊行できないものかしら、という気もする。全訳の刊行を期待したいところ。

フランス近現代のプラトン受容 – 3 (ヴェイユ)

引き続き『プラトンとフランス現代哲学』から。ジャン=リュック・ペリイエ「シモーヌ・ヴェイユの「神秘的プラトン」−−パラダイムのラディカルな変化」(pp.108 – 147)は、フランスで、テンネマン、あるいはヘルマンなどの系譜に連なる一人が、シモーヌ・ヴェイユだったという話が展開する。すなわち、プラトンの対話篇はある種の普及版でしかなく、その哲学的教義の核心は口頭でのみ伝えられていたという考え方。いわゆるテューリンゲン学派の先取りのようなことをヴェイユはやっていたというわけなのだが、ヴェイユが考えるプラトンの思想的な核の部分というのは、ピュタゴラスの教義そのものではなかったかとされる。ヴェイユは当初、哲学の師匠らの影響もあって、むしろシュレーゲル、シュライアーマハー的な、近代的なプラトン像(近代思想の先駆者的位置づけ)に傾倒していたという。やがてそれがピュタゴラス派的な神秘主義的プラトン像へとシフトしていく。となれば、そのシフトをもたらした要因はどのあたりにあるのかが気になるところだ。論文著者はこのシフトを、四つの要因に関連づけて解釈している。1920年代から40年代にフランスで隆盛となっていたプラトン研究(新訳・校注版などの刊行)、キリスト教神秘主義へのヴェイユの転向(カトリック関係者との接近、ただしヴェイユは帰依はしていない)、所属のない自由な研究環境、さらに数学分野の発展(兄のアンドレ・ヴェイユは数学者)。いずれにしても、そこには複合的な要因があったものと見られる。現在、こうした神秘主義的なプラトン観に対しては、それを真摯に受け止める向きも少なくないものの、反対する立場も依然根強く、たとえばリュック・ブリソンなどの名が何度か挙げられている。

ウルリッヒ・ベック

変態する世界夏読書の季節だが、今年はこれまでの延長という感じが強い。今年もまた内外の政治的な動向が気になるところでもあり、そうした領域に関係したものを読む比率もそれなりに上がっているのだけれど、そうした流れから、まずはウルリッヒ・ベック『変態する世界』(枝廣淳子・中小路佳代子訳、岩波書店、2017)を見ているところ。ざっと第一部の「導入、証拠、理論」編。同書は全体として、著者の未刊の遺稿を整理しまとめたものらしい。リスク社会が一般化・グローバル化してしまった現代を、単なる変容とは見なさず、むしろ一種の「変態」(幼生から成虫に変わるような)と捉え、それに対応する新たな「コスモポリタン的現実主義(行動主義?)」を提唱し、同時にその社会の変態と、対応する理論に求められる変態の可能性についての理論を構築しようとする、野心的な論考。あるいはマニフェスト。リスク社会のグローバル化という点では、気候変動がその代表的な問題として取り上げられている。

面白いのは、議論の正当化に向けて、途中でパスカルが引用されていたりすること。「神は存在するかどうかのどちらだが、私にはわからない。ただ、私は神が存在するほうを選ばざるをえない。神が存在するなら私の勝ちだし、存在しなくても何も失わないから」というもの(『パンセ』233節)。ベックはこれを気候変動にも適用する。気候変動の実在には、どんなに証拠が挙がっても不確実性がつきまとう。けれどもその不確実性こそが、意志決定にとって決定的な政治的瞬間を作り出す、とベックは言う。気候変動の実在を認め、責任を負うことは、世界をよりよいものにできる契機となりうるかもしれない。その意味で、実在を認めるほうに、プラグマティズム的な選択の理由がある、と。けれどもこうした構え方はある種の批判に晒すことができそうにも思える。たとえば、問題の不確実性を前提にその問題に取り込むことが、別の不確実性を呼び込むことがあるのではないかとか(環境問題にかこつけた原発開発の例のように)、それとはまた別の価値観(成長神話の信仰など)が同じ論理を掲げてきたときにどう対処するのかとか。ベックがそういう批判への対応を考えていないはずはないが、一見する限り、方法論的コスモポリタニズムを称揚するという大義の前に、そうした細やかな対応はやや霞んでしまっているようにも見える(?)。マニフェストなのだから仕方ないといえばそれまでだけれど、そうした議論への細やかな手当てこそが、求められているように思えるのだが……。