トレント公会議と政治

思想 2017年 10 月号 [雑誌]きたる10月31日は、ルターの『95箇条の提題』がヴィッテンベルクの城教会の扉に貼り付けられたとされる1517年10月31日からちょうど500年。これが宗教改革の出発点だったということで、今年は宗教改革500年のメモリアル・イヤーにされているわけだけれど、厳密に考えるなら異論も出そうだが、もちろんこういうお祭りがあってもよい。ルターの著書の邦訳(『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」 (講談社学術文庫)』、深井智朗訳、講談社、2017)など、関連出版などが相次いでいるのは歓迎したいところでもある。というわけで、とりあえず個人的には岩波書店の思想 2017年 10 月号 [雑誌]』(特集「宗教改革500年−−社会史の観点から)を眺めてみた。個人的に興味深かったのは、渡邊伸「全体に関わることは全体で決めるべきだ−−公会議問題から見たドイツ宗教改革の展開」。トレント公会議が開催されるまでの、プロテスタントとカトリック、そして世俗の政権が入り乱れる複雑な経緯を、ドイツ国内の動きを中心に詳述している。論文著者によると、そこには「信仰問題が帝国内の問題に収斂していった経緯」が見られ、トレント公会議は「普遍性を主張する中世世界から個性を主体とする近代世界への転換」点にあたるとされる。同論文の最初のほうには、公会議の問題について、議決を通して考察する研究が見当たらないと指摘されていてちょっと衝撃を受ける。手つかずの空白領域がそんなところにもあるとは……。

トレント公会議これを受けて読み始めたプロスペリ『トレント公会議』(大西克典訳、知泉書館、2017)は、抑制の利いた簡潔な文体で、やはり宗教世界と世俗世界との確執を描き出している。まだ冒頭部分だけだけれど、面白い指摘が多く、たとえばニュルンベルク帝国議会(1522)の後に公会議の開催を要求したのがドイツ諸侯で、しかもその会議の中心的な目的は何なのかははっきりしていなかった、といったくだりが印象的だったり。教皇周辺には開催に消極的な筋があり、和解を求めてカール5世の宗教政策を支持した一派もあり、また情勢の変化(ルターの死や宗教対話の失敗)によって力関係も変わったりしながら、公会議開催についてのある意味リカーシブな議論が開催後までも取り沙汰されたりしたらしく、公会議を政治利用しようとする向きと、なんらかの改革的成果を望む人々などの拮抗関係が、公会議そのものとそれを取り巻く環境をきわめて複雑なものにしていたようだ。これもまた、リアルポリティクスの醍醐味だ。

余談ながら上の『思想』からもう一つ。早川朝子「宗教改革と医学の「近代化」」がまた面白い。身分の低い外科医に解剖をまかせ、ガレノスの権威ある諸説を講じるだけだった中世以降の医学の教師たちに対して、みずから解剖を行いガレノスの誤りをも指摘したベルギー出身の16世紀の医師ヴェサリウスの姿を、宗教的権威に挑むルターに重ねている。ガレノスの説による(誤った)血液循環の話なども取り上げられていて参考になる。