科学主義の陥穽

世界 2017年 12 月号 [雑誌]やっと少し復調。というわけで、最近読んだものから。とりあえず岩波『世界 2017年 12 月号 [雑誌]から二つの記事をメモ的に取り上げておく。どちらも科学技術と環境をめぐるもの。一つは大久保奈弥「珊瑚の異色は環境保全措置となり得ない」(pp.126-136)。珊瑚礁の破壊をに対する環境保全の切り札的に取り上げられることの多いサンゴの移植が、実は宣伝されているような成果を上げていないことや、それでもなお日本の行政の悪い癖で、産学一体となった利権構造ゆえに、始まってしまった事業への資金注入がやめられず、無駄金が次々と注ぎ込まれる結果になっていることを指摘している。技術でなんとかなるという妄信が、実証的な論拠もなく幅を利かすという、お馴染みとなった構図。伝える報道媒体の責任ももちろんある。そうした媒体に煽られて、素朴に自分も貢献したいという一般のダイバーらの心意気が、最初からくじかれている・裏切られているかもしれないという話。行政は金がらみだが、そこから一歩でも引くようなスタンスで問題を見据えることはできないものなのだろうか、と暗澹たる気分になる。

もう一つもある意味似たような話。小澤祥司「電気自動車が<解>なのか?」(pp.143-152)は、欧州が電気自動車に舵を切る中、日本のメーカーが産学官でぶち上げた「水素社会」に拘泥し、後追いのかたちを取らざるをえない状況を描いてみせる。そしてまた、電気自動車についても、固体電解質のバッテリー開発が進むことが前提となっており、それはいまだ不確定要素としてとどまっている、と。投企の読み違えを修正することができないことが、そこでもまた大きくのしかかってくるという、これまたごくありふれた構図の再燃だ。