動物からのグラデーション

依存的な理性的動物: ヒトにはなぜ徳が必要か (叢書・ウニベルシタス)今週もあまり時間が取れなくて、本読みは低迷中。というわけなのだけれど、いちおう今週見ているのはこれ。アラスデア・マッキンタイア『依存的な理性的動物: ヒトにはなぜ徳が必要か (叢書・ウニベルシタス)』(高島和哉訳、法政大学出版局、2018)。まだ全体の3分の1ほどの6章目まででしかないが、マッキンタイアがプルタルコスの系譜に名を連ねていることは実によくわかる。動物と人間との線引きを強調してきた過去の哲学的議論を批判的に相対化し、両者の差異をグラデーション、程度の差として捉え直すことを提唱している。マッキンタイアは、言語をもたないもの(すなわち動物)に、信念(概念化と判断)を帰することに反対する論者たちが、全般に、みずからの論を支える根拠を提示できていないことを示していく。たとえば真と偽との前言語的な区別が、言語を用いる諸能力と地続きであることを言い募る。

もちろん、言語をもつことによって獲得された能力には、前言語的な根をもつ信念を反省的に捉え返す(あるいは判断の理由をもつ)といった側面が含まれるわけだけれど、それもまた、連続性の相のもとで見直す必要があるのだ、ということのようだ。確かにそれは言えているだろう。前回、プルタルコスの考える動物の推論があまりに人間的・言語的だというようなことを記したけれど、プルタルコスがやや性急に、あるいは一足飛びに連続性を強調してしまうところで、マッキンタイアは慎重に踏みとどまり、より精緻な検証を加えようとしているかのようだ。同書は副題にもあるとおり、徳の概念にまで話が及んでいくようで、最初の3分の1を読んだ印象としては、話の流れとして他の動物にもそうした徳性が当てはまるというところにまで進んでいきそうに見える(?)。そのあたりについては改めてメモすることにしよう。