『アテナイの国制』をめぐる謎

このところ希仏対訳本で偽クセノフォン『アテナイ人の国制』(Pseudo-xénophon: Constitution des athéniens (Collection des Universités de France) , trad. Dominique Lefant, Les Belles Lettres, 2017)を読んでいた。これはなかなか不思議な書。表面的には、寡頭制を擁護する書き手がアテナイの民主制を批判しつつ、またその行き過ぎ(大衆のための利益誘導だ、みたいなことさえ言ってのける(!))を嘆きつつ、それを変えることは不可能なのだと論じるというもの。ひたすら淡々とした調子で書かれていて、著者(おそらくはエリート階級の出)が何を意図しているのか今一つ明確ではない。ひょっとしてこれは反語的に民主制をむしろ賞揚しているのではないかとさえ思えたり。まあ、その場合は相当、素直ではないが……。

対訳本の解説序文によれば、著者が特定されていないことはもちろんのこと、この書の成立年代も諸説あり、決着を見るには至っていないらしいが、いずれにしても前4世紀の後半、おそらくペロポネソス戦争の初期段階あたりとするのが一般的で蓋然性が高いとされている。少なくとも、スパルタに敗れた後に実際に成立した寡頭制(三十人政権)が言及されていないことから、ペロポネソス戦争以降ではないと考えられているようだ。

それにしてもこの文書の本文が扱うテーマは多岐にわたっている。奴隷や遺留外国人の扱いから、同盟都市への対応の仕方、海洋国家としてのメリット(このあたり、海の覇権を論じたカール・シュミットとかを思い出させる)、エリートと民衆の対比、そして民主制のもとで生じている制度的機能不全と、それを是正することの困難などなど。上に記したように、執筆意図が気になるところだが、これに関連して、ネットで公開されている芝川治「偽クセノポン『アテナイ人の国制」(大手前大学論集13巻、2013, pp.93-113)(PDFのダウンロードはこちら(直接))を読んでみた。同論文では、民衆とエリートの鮮明な対比や、その民主政像には、かなりの歪曲や虚言、喜劇的誇張などが含まれているとされている。つまりこの文書は、ユーモアや皮肉、嫌味を込めつつ、かなりシニカルに民主制・寡頭制の双方の支持者を冷笑したものではないかという。さらにまた、語法などに稚拙なところがあるといい、習作ないしは草稿の類だろうと論じている。それなりに納得いく議論ではある。