アートの黎明へ

再びブールノワの『イメージの向こう側』からメモ。終盤の八章、九章に目を通す。物質的なイメージ(つまり絵画とか彫像とか)がそれ自体の価値をもつようになるには、一つにはその作り手がなんらかの価値を纏うようにならなければいけない。ところが中世盛期以前の神学では、人の手による「像」に美のような価値が付される議論は出てこず、すべての美は創造者としての神が一手に握っているとされたまま。とはいえ、やがて職人に創造性を認めるような議論が登場してくる。その先鞭をつけたのはドゥンス・スコトゥスらしい。神の中にあるイデアがモデルもしくは本質として先行するという通念を、スコトゥスは批判しひっくり返す(イデアはモデルではなくあくまで認識対象として神のうちにあるという立場)。オリヴィが絵画技法の理論的支えを示していたという話が前に出てきたれけど、その意味では、このオリヴィ=スコトゥスのラインは鉄壁かも(笑)。で、これをオッカムが拡張し(イデアは事物そのもののことで、先行などしないという立場)、創造におけるモデルの考え方が根本的に葬られる。こうなると、神はみずからの内に存在しないものを創り出すのだということになり、やがて(これとは多少違う路線からだけれど)、クザーヌスが人為的な営為もまた神の創造に比されるということを言い出す。人は作り手の職人として神の似像だというわけだ。こうして職人的な価値が高まる契機が作られる(八章)。

これとは別筋に、やはりスコトゥスが、エギディウス・ロマヌス(トマス派)の「痕跡(心的印象)が普遍を表す」という論(?)を批判する。と同時代的にガンのヘンリクスが知的スペキエスを批判する。サン=プルサンのドゥランドゥスも、「視覚が捉えるのはスペキエスではなく物体そのものだ」として、モノと認識の中間物(像)を否定する。これも完全否定にいたるのはオッカム。こうして心的な中間物が取り除かれてしまうと、たとえば物質的な像を通して彼方の神を崇めるという図式も崩れだし、像は像でしかなく、描かれた対象とは別ものだということになる(ドゥランドゥス)。崇める対象はあくまで像が喚起する「対象の記憶」なのだから、像はそれを喚起しさえすればよい。神は不可視であることが、神の像から思い出されればよい。かくして14世紀には父なる神の姿まで描いた絵画も登場し、神学者たちはこれを問題視するようになる(ホルコットやウィクリフ)……(九章)。絵画の世俗化はもうすぐ目の前か。