中世の狂気

期待していたミュリエル・ラアリー『中世の狂気 – 十一〜十三世紀』(濱中淑彦監訳、人文書院)をやっと読み始める。とりあえず序論から第二章まで。うーむ、聞きしに勝る博覧というか、繰り出される史料が多岐・広範にわたり、中世史内部での研究分野横断的な論考になっている観じだ。なかなかに小気味よい(笑)。たとえば第二章は、無神論者から始まって、狂気が道徳に取り込まれていくという話が展開するのだけれど、まず詩篇に言う「分別のない者」との絡みでアンセルムスの神の存在証明が語られたかと思うと、次にはそれへの反駁(マルムーティエのゴニロンという修道僧で、アンセルムスの証明が神の実在を証しているわけではないと反論しているらしい)が紹介され、さらにアンセルムスの「再反駁」まで言及される。詩篇の解釈から分別のない者をユダヤ人に重ねるようになった話でアルベルトゥス・マグヌスに触れたかと思うと、今度は図像学の伝統や世俗語の文学作品が例に出され、「狂気」の用語の分析が続く(クレティアン・ド・トロワからペルスヴァルの話など)。さらには典礼劇や教会の彫像から「賢い乙女」と「愚かな乙女」が対比され、最後にはトマス・アクィナスによる「アメンティア」(精神欠如)への省察が紹介される……。いやー、各章こんな感じでいろいろ入り乱れるのかしら。大いに期待している(笑)。ま、それはともかく、上のゴニロンの反駁とか、なにやら面白そうで実際に読んでみたいところなのだけれど、とりあえずガリカとかにはなかった。うーむ……。