「カントの人間学」

ミシェル・フーコー『カントの人間学』(王寺健太訳、新潮社)を読む。フーコーの国家博士取得のための副論文だということだけれど、いや〜、これもなかなか面白い。カントは『批判』三部作があまりに有名なせいか、その後の『実用的見地における人間学』などはどこか影が薄い(苦笑)感じがするけれど、実はこれが『批判』と密接な関係にあり、しかもそのパースペクティブをまた別の次元に押し上げていること、カント哲学全体の要に位置していることを論じたもの。たとえば時間概念だけを取ってみても、『批判』では多様を主観の構成的な能動性によって支配されたものとしていたのに対し、『人間学』では乗り越えられない散逸として捉えられているという。それに抗おうとして人が用いる「技法」は、自由と、翻ってその散逸の真理を開示しているのだ、とも。『批判』で扱われていた構造は、『人間学』では次元を換えて「始まりも終わりもないもの」として反復されている……と。この連続性と差異との微妙な関係性というあたりの話が、フーコーの独特な持ち味の一つなのだなあと改めて思う。

最近、ニーチェの超訳本が売れているとか聞くけれど、カント関連もちょっと売れ筋に乗りそうな感じはするのだけれど……(?)。ちょうどNHKでマイケル・サンデルの政治哲学の講義が放送されているし(カントの倫理学話とかが出ている)、著書の邦訳が出たらしいし、また、光文社の古典新訳シリーズでは、中山元訳の『純粋理性批判』とかも出ているし。改めてもっと注目されてもいいかもね、カント。そんな中でのこのフーコーのカント論は、カント哲学のトポスの分析という意味で見事に異彩を放っている感じ。