「正統派をめぐる戦い」1

前にヌメニオスとかが、プラトン思想を継ぐと称する他派に対してすごく好戦的な感じだというような印象を記したと思ったけれど、その名もずばり、「正統派をめぐる戦い」という本を取り寄せてみる。ポリムニア・アタナシアーディ『後期プラトン主義における正統派をめぐる戦い』(Polymnia Athanassiadi, “La lutte pour l’orthodoxie dans le platonisme tardif : De Numénius et Plotin à Damascius”, Les Belles Lettres, 2006というもの。ヌメニオス、プロティノス、イアンブリコス、ダマスキオスの4人を取り上げて、それぞれが正統派の確立にどう貢献しようとしたのかを論述していくものらしいのだけれど、すでにこれ、文字と音声といった媒体論、あるいは制度・組織論的な目配せもあっていきなり面白い(笑)。しかも議論のその前段にあたる1章目が、思いがけず「カルデア神託」の概説になっていて有益。というわけでメモしておかねば。

プラトンによる文字の批判は、要するに物質的シンボルで固定された瞬間、超自然の預言の言葉は精気を失い、「死語」と化すというものだった……で、これは当時のギリシアが古代のオリエント文化に対して示していた姿勢を端的に物語るものだという。口伝えの重視ということで、それは神託が神がかり的なトランス状態で発せられる言葉が大いにもてはやされたこととも関係がありそうだ。この文字への態度に変化が生じるのはだいぶ後で、やっと3世紀ごろから密儀や神託が文字で残されるようになる。こうした文脈を背景に、「カルデア神託」も登場する。

「カルデア神託」は、降神術使いのユリアノス(父)およびユリアノス(子)が受けた神託ということだが、イアンブリコスによると、ここでいうカルデア人とは、3世紀ごろの地中海都市アパメア(シリア)での聖職階級を意味するらしい。で、この本の著者によれば、神託を受けたとされるユリアノスも、おそらくはその階級に属していたのだろうという。アパメアは実際に聖都であったようで、386年ごろにテオドシウス1世の勅令でアパメアの神殿が破壊されるまでは、巡礼の人々などで大いに栄えていたらしい。イアンブリコスはこの地を教育活動の拠点とし、新プラトン主義の学派を作ったというけれど、それはその聖都に惹かれてのことだったのではないか、とも述べている。

「神託」そのものは、ユリアノス(二人の?)がトランス状態で発した言葉である可能性が高いといい(そうした事例の傍証として、著者は1930年ごろのトルコの盲目の溶接工の話を出しているが、ま、それはともかく)、神託を発する二人のユリアノスはみずからがトランス後に操作・解釈を加え、やがて2世紀の終わり頃には伝承は固定されて、コーランよろしく、異聞の写本、類似の教説などが弾圧されて消されていった……というのが著者の大筋の仮説だ。まあ、このあたりはなかなか論証は難しいのだろうけれど、いずれにしてもこの「神託」の扱いは新プラトン主義の展開と大いに関係してくるというわけで、先の展開を期待させる序章ではある。