「正統派をめぐる戦い」 3

アタナシアーディ『後期プラトン主義における正統派をめぐる戦い』から。第四章はプロティノス。「イアンブリコスを貫くのがヌメニオスであるとするなら、プロティノスを貫くのはアンモニオスである」と著者。神秘主義的な啓示の伝達を口承にのみ限定し、安易に広めることを禁じたアンモニオスに対して、プロティノスたちその弟子たちはいずれもその約束を守ろうとはしなかった……。それだけ社会情勢は流動的だったということか。著者によればプロティヌスの立ち位置はヌメニオスのそれに類似する。プラトンを絶対的な権威とし、その曖昧な物言いを明確にすることが継承者たちの責務だとする。ただし違いもあって、ヌメニオスが過去の人々に対して自分の立ち位置を確立していたのに対し、プロティヌスは同時代の人々、しかも自分の陣営内にいる異種の人々に対立せざるをえない……。

それはつまり、キリスト教系(プラトン主義の陣営内にはキリスト教徒もいた)のグノーシス主義との対立だ。プロティヌスのトーンは教育的で、戦闘的な姿勢を見せているわけではなく、誤謬に陥ったそれらの人々を、怒りではなく悲しみで見ているという。とはいえ、世界の美を認めようとしない感性の怠惰さや妬み・憎しみ(グノーシス派がそれなりに社会的に勢力を拡大したのは、人々の間にあるルサンチマンを汲み上げていたからだと言われる)についてはそれを厳しく批判し、魂を強く持てと説く。奨励されるのは、グノーシス派が怠っている鍛錬だという(だからプロティノスはグノーシス派をエピクロス派の亜流と見なしているのだとか)。けれども、プロティノスはそれをあえて広く説教しようとはしない。そこが、積極的な拡張策を取るグノーシス派との違いで、プロティノスの場合はあえて自分たちの陣営内に入り込もうとするグノーシス思想を批判するにとどまった……。なるほど、このあたりの戦略の欠如が、エリート主義的とも言われるプロティノスの一派の限界なのかもしれない。