ストア派と中世

9月末ごろに出ていたらしい『中世思想研究 52』(中世哲学会編、2010)を眺める。おー、このところ同論集は扱うテーマが拡がってきて、前にも増して面白い論考が散見されるように(笑)。『原因論』と『神学綱要』(プロクロス)の落差をトマスがどう捉えていたかという問題を論じたものや、表象力という観点からアルベルトゥス・マグヌスとアヴィセンナの比較をしたもの、アヴィセンナ(イブン・シーナー)の預言者論を扱ったものなど、うーむ、いろいろ細かな点で勉強になる。で、特集は「中世哲学とストア派倫理学」。初期教父からスコラ前夜まで(アンセルムスまで)をカバーしている。うーむ、これもなかなかに興味深く、かつ難しいテーマ。そういえば12世紀のソールズベリーのジョンあたりにも、たとえばキケロの言及などはあって、一種の「キケロ主義」があるということが以前から指摘されたりしていたっけ。セネカの影響関係というのもありそうで、各地の修道院が写本を所蔵していたという話も聞く。でも、思想的な伝播関係を厳密に追うような研究はどれくらいあるのかしら……。また、さらに広くストアという括りにすると、それだけで一気に見通しが悪くなってしまう気も(苦笑)。

今回の特集の論考を読むと、なるほどギリシア教父(バシレイオスが取り上げられている)には、ストア派の倫理学的立場をキリスト教的に吸い上げていた側面が確かにありそうに思えるけれど(土橋論文)、ラテン教父になるとまた話が違ってきて、新プラトン主義やアリストテレス思想と混じり合い、「ストア的要素」は純粋には取り出せない(荻野論文)のだという。そうなると、指摘されているとおり(山崎論文)、ストア派の直接・間接的影響そのものよりも、対象とする研究対象(ここではアンセルムス)にストア的な側面があるかどうかを見る、というアプローチに切り替えるしかないのかもしれない(というか、そのほうが論文的には生産性が上がるのかもしれない)。けれども、長期的にはやはり受容の問題に直接切り込んでいただきたいようにも思う。もちろんその難しさは容易に理解できるけれど……。また上のアプローチを取るにしても、たとえばコスモロジー的な面まで含めて俯瞰するような場合には、ストアと教父たちとの間にあるのが連続性か不連続性かという大きな問題も浮き彫りになってくるようで(樋笠論文とそれへの出村質問)、当然ながらなかなか一筋縄ではいかない(まさにそこが面白いところ……ではあるのだろうけれど)。