病は種子から?

中世を囓りながら、ときにルネサンスに眼をやると、その違いというか距離というかになにやらクラクラすることがある(笑)。最近、パラケルスス『医師の迷宮』(澤元亙訳、ホメオパシー出版)に眼を通したのだけれど、その11節にある、病気が種子に由来するという話がちょっと衝撃的だった。「したがって元素は病気の原因ではない。元素の中に蒔かれた種子が病気の原因である」(p.163)というくだりと、「さらに認識されるべきは、病気が、体液からではなく種子から生じるということ、母からではなく父から生じるということである」(p.164)というくだり。前者の種子と後者の種子と、同じものを指しているのかどうかも微妙な感じ。あるいは母=質料、父=形相ということなのかしらとも思うのだけれど、とにかく体液のバランスを病気の原因とするような考え方はここでは一蹴されている。元素と体液は同じだ、みたいな話も出てくる。うーん、このところメルマガ関連で、中世ものの医学書(というかその概説書のようなもの)から受胎や胚の話などをいくつか読んでいるのだけれど、そこでの「種子」は大概具体的な話で、とうてい「元素(体液?)に蒔かれる」ようなものではない印象で、体液に絡むものといえば、むしろ種子が担っている精気ということになっていたみたいだった。また「種子が病気の原因」みたいな話もちょっと見あたらないような……。

でも、見逃している可能性も大きいし、病因論という観点からそれらの医学概説書、あるいはほかの資料を読み直してみたい気もしている。また、これに関連して、ルネサンスの種子理論について、以前一度ダウンロードしたものの積ん読になっていた論文に眼を通してみたのだけれど、これがむちゃくちゃ面白かった(いまさらながらですが)。先の『ミクロコスモス』(月曜社)編者のヒロ・ヒライ氏によるフラカストロ論文(仏語)。ルネサンス期には種子の概念が大幅に拡張(?)されて、心身あるいは宇宙と人体をつなぐ媒介項みたいになっている。これはまた壮大な世界観だな、と。うーん、中世も思いっきり深いけれど、ルネサンス(というか初期近代)も別の意味で深く、かつ広大だ……。