「命題論」受容の温度差

このところMedievalists.netで紹介されている論文をダウンロードしてぼちぼちと読んでいるのだけれど、これがまた結構すぐに溜まっていく(苦笑)。ま、積ん読はいつものことか……。これまたそうしたうちの一つだけれど、デボラ・ブラック「ラテンおよびアラビア哲学におけるアリストテレス『命題論』」(Deborah L. Black, ‘Aristotle’s Hermeneias in Medieval Latin and Arabic Philosophy’ “Canadian Journal of Philosophy” suppl. vol. 17 (1992))pdfファイルはこちら)という論考を読む。ラテン中世とアラビア世界との影響関係ではなく(というのも『命題論』の浸透はまったくの別ルートになっていて、直接的な影響関係がまったくないからだけれど)、むしろ両文化圏において『命題論』がどう受容されていたかを見ることで、それぞれの受容のフィルタリングがどのようなものだったかを考えるという、ちょっと興味深い視点に立っていて、とても興味深い。しかもそれを、「命題」そのものの定義や、名辞の扱われ方、非限定名辞(否定辞つきの名辞など)といったテーマごとに、両文化圏の解釈の違いをまとめあげている。ラテン中世の識者(ダキアのマルティヌス、ロバート・キルウォードビー、アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス)、アラビア世界の識者(主にファラービーとアヴィセンナ)それぞれの内部的な違いなども絡んで、なかなか読み応えのある議論になっている(と思う)。

特に問題になるのが、彼らが論理学と言語の関係をどう捉えていたかという点だが、ネタバレ的に言うなら、全体としてラテン中世では、プリスキアヌス(6世紀)の文法学やボエティウスの議論などがあるため、論理学と言語の間に断絶の相を見ようとするのに対し、そうしたフィルタリングのないアラビア世界においては、両者の学の違いは連続の相で捉えられ、溝はあってもどこか相対的なものにすぎないということらしい(もちろん、連続の相を強く打ち出すファラービーに対してアヴィセンナが断絶の相を見、ラテン中世寄りの立場に立つなどの違いはあるというが……)。名辞、非限定名辞の受け取り方にも大きな違いがあり、とにかくそうした違いの根底には「論理学」がどういうものであるか、言語(文法学)がどういうものであるかという認識の違いが横たわっている……と。ラテン中世では文法学は論理学の外にある別の領域とされるのに対して、アラビア世界では文法学は論理学の一部として位置づけられる、みたいな。取り上げられている論者が若干少ないので、一概に敷衍はできないような感じもするけれど、これはこれで重要な示唆であることは間違いない(きっと)。

(↓先日の都内某所の公園にて)