関口文法……

就寝前読書で池内紀『ことばの哲学 – 関口存男のこと』(青土社、2010)を読了。これ、タイトル(副題じゃないほう)に惹かれて購入したのだけれど、ことばの哲学の話ではなく、関口存男というドイツ語学者の評伝だった。つまり副題こそが本題というわけ(苦笑)。うーむ、こういうタイトルの付け方はちょっとなあ。『現代思想』連載だというけれど、後書きには、連載中は「ことばの哲学者」というタイトルだったと記されている。それをタイトルにするのが筋ってもんじゃないのかしら……と。でもま、評伝自体は結構面白かったので、とりあえずはよしとしておこう(笑)。関口文法って、大昔の外語の生協あたりにも参考書として置かれていたように記憶する。というわけで名称は聞いたことがあるけれど、読んだこともなければ、その名称のもとになった人物もまったく知らなかった。埋もれた存在に光を当て直すという意味では、とても優れた着眼点ということは言えそうだ。で、前半の中心をなすのはその語学習得方法。原書をひたすら浴びるように音読するというその方法は、語学学習者ならばある意味誰もが多かれ少なかれやっているはずことを、もっと壮大なスケールに拡張したようなやり方だ。昔の人の気骨みたいなものが感じられて興味深い。でも、評伝というからには、そこに宿っているような狂気のような面を焙り出したりするというようなことも、多少やってほしかった気もする。で、同書はその語学習得を軸に、関口本人の陸軍から大学人への変転、演劇人としての横顔、戦中のエピソード、そして戦後の大著執筆などが、それぞれスポットを当てられて記されている。さながらドキュメンタリー映画を見たような読後感。でも(これまた上と同じような話だけれど)、せっかく対象が語学の巨人なのだから、その文法体系の思想面をもう少し掘り下げて、というか、もとの著書からの引用なども入れて具体的に論じてほしかったという気もする(それはぜひ別の著書でお願いしたいところ)。また、(題名を意識してなのか)ところどころに挿入される同時代人としてのウィトゲンシュタインの話は、日独の両方に同じような精神で学問的営為をしていた人物がいたという点はともかく、同書の本筋にさほどうまく絡んでいない印象も(笑)。