オリヴィの政治論?

メルマガの関連もあって、ペトルス・ヨハネス・オリヴィに関する論集を入手する。アラン・ブーロー&シルヴァン・ピロン編『ペトルス・ヨハネス・オリヴィ – スコラ哲学、反逆精神、そして社会』“Pierre de Jean Olivi – pensée scolastique, dissidence spirituelle et société”, ed. A.Boureau et S. Piron, Vrin 1999)という一冊。あいにく、調べたいと思っていた質料形相論関連の話などは出ていなかったのだけれど、論集そのものとしてはなかなか面白くて、拾い読みに精を出しているところ(笑)。これ、オリヴィの没後700年を記念して1998年に、ゆかりの地ナルボンヌで開催されたシンポジウムの論集なのだそうだ。変な癖で、ついつい直接関係ないものに眼がいてしまう(苦笑)。ま、これもまた論集の楽しみ方であるのは確かだけれど。

この間のミュラ本以来、政治哲学関係にも関心が向いていたところ、これにもルカ・パリゾーリ「政治的自由概念の誕生への、フランシスコ会の貢献:オリヴィにおける予備的与件」(Luca Parisoli, ‘La contribution de l’école franciscaine à la naissance de la notion de liberté politique : les données préalable chez Pierre de Jean Olivi’)という論考があり、とても興味をそそられる。それによると、オリヴィの意志論での自由というのは、一種の制約概念として読むことができるのだという。法概念の基礎には自由と支配があり、支配・被支配の関係は、主体がおのれの自由を一部放棄することによって成立するとされる。この放棄もまた、上下関係を求めるような行為ではなく、ただ自由を前提とした行為なのだ、と。なるほどその場合の自由とは、近代的な意味合いではまさしく制約か。そして支配者の側、たとえば教皇なども、不謬性という形で啓示や伝統に照らした意志決定が求められる。この意味でも、立法に際しての支配者の自由もまた一種の制約ということに成る……。オリヴィは教皇論者(つまり教皇の不謬性を支持する立場)だったというが、基本的には不謬性を、教皇の権限に制約を課す手段と見なしていたのではないかという。うーん、なんとも微妙な理路ではあるが……。

ほかの収録論考としては、ダンテにおけるオリヴィの影響(ダンテはオリヴィの説教を聞いていたらしい)、オリヴィ死後の崇拝を扱ったもの、さらには同時代人のライムンドゥス・ルルスとの対比の論考なども面白い。ルルスとオリヴィはある時期ともに南仏にいて、出会っていた可能性が高いのだという。文献的には証明されていないようだけれど……。