中世の「自由討論」

これまたオリヴィについての調査の一環として、シルヴァン・ピロンの論文「南部のストゥディアおよびパリにおけるフランシスコ会の自由討論」(Sylvain Piron, ‘Franciscan Quodlibeta in Southern Studia and at Paris, 1280-1300’, in in Chris Schabel dir., “Theological Quodlibeta in the Middle Ages. The Thirteenth Century”, Brill, 2006)を読む(PDFはこちら)。うむ、いろいろ勉強になる。自由討論は雑多な問題について教師と学生が自由に討論するというもので、この形式を最初に導入したのは、やはりフランシスコ会派のジョン・ペッカムだったという。1272年から75年ごろのオックスフォードでのこと。これが続くマチュー・アクアスパルタなどにも受け継がれていき、各地にも拡がっていく。13世紀末から14世紀初めにかけて、これは大学だけでなく、地方の修道院などでも行われるようになるらしい(このあたり、何やら「哲学カフェ」とか「白熱教室」とかのプロモーションをも彷彿とさせるけれど……(笑))。この論考は、記録として残っている写本(自由討論集)をつき合わせながら、きわめて実証的に、中央(パリ)の大学での自由討論と、オリヴィを始めとする説教師・学士などが行った地方の自由討論との共通基盤や相違などを、全体像として浮かび上がらせようという興味深いもの。後者の場合にはオーディエンスも単に修道士たちだけではなく、一般の者にも開かれていて、しかもアカデミックというよりも実務的・日常に関係した問題などを扱うようになっていくらしい。対する大学の自由討論は、同様にオープンではあっても当然ながらアカデミックな層に限定され、扱われる問題はより神学的・哲学的で、いろいろな政治的な思惑なども絡んでくる。とまあ、こう簡単にまとめてしまうとナンだけれど(苦笑)、実際の論考が取り上げている話は実に多岐にわたっている。中心的に多くの文章が割かれているのはオリヴィについてだ。異端嫌疑のいきさつや、オリヴィによる初のインデクスの導入の話、具体的な議論の概要、晩年にいたるその自由討論の内容的変化など、様々なトピックを紹介しまとめている。