アンセルムス関連論考二本

少し前にMedievalists.netで紹介されていたアンセルムス関連の短い論文二本をまとめ読み。スコラ学の父ことアンセルムスの研究は、やはりそれなりに層が厚いことを感じさせる。まずはニコラス・コーエン「封建社会の投影かキリスト教的伝統か – アンセルムス『なぜに神は人に』の推論を擁護する」というもの(Nicolas Cohen, ‘Feudal Imagery or Christian Tradition? A Defense of the Rationale for Anselm’s Cur Deus Homo’, The Saint Anselm Journal 2.1, 2004)(PDFはこちら)。これは具体的な議論というよりも、先行研究のまとめで一つの論考ができてしまったような作品。アンセルムスの『なぜに神は人に』(Cur Deus Homo)という小著は贖罪理論を説いたものということだけれど、従来の研究では、そこに封建制度の主従関係が色濃く投影されているとしてあまり評価されてこなかったという。ところがこれに最近、封建制度の影響以上に、教父神学の伝統が反映しているのではないかという説が唱えられるようになったという。特に注目されているのが、アンセルムスとアタナシオス(アレクサンドリアの)とに類似性が見られるという説。著者はこれらの両方をまとめ、後者を支持する立場から、前者に立脚する論者の提示した問題点に答えている。うーむ、アンセルムスとギリシア教父との関連性というのはとても面白い論点に見える。ちょっとこの「Cur Deus Homo」を読んでみたくなった(ちなみにPDFがこちらに→Libri Duo Cur Deus Homo)。

もう一本は、ソフィー・バーマン「アンセルムスとデカルトにおける人間の自由意志」(Sophie Berman, ‘Human Free Will in Anselm and Descartes’, The Saint Anselm Journal 2.1, 2004)(PDFはこちら)。タイトル通り、アンセルムスとデカルトの自由意志論を対比するというもの。両者の文脈は当然異なるわけだけれども、そこからなんらかの共通性を抜き出そうというもの。両者の間に影響関係があるとかそういう話ではなく、ある種の知的な推論の型のようなものを探るという話。なるほど主意主義の伝統は長いのだなあということを改めて。それにしても、アンセルムスにおいても「自由」意志というものが、意志に内在する「正しさ」を温存する力だとされていることが、個人的にはとても興味深い。このあたりもまた、スコトゥスなどのまさに「先駆」か。

↓Wikipediaより、アンセルムス

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