アンダルシアのアラビア科学

スイユ社から三巻本で出ているロシュディ・ラシド編『アラビア科学史』の第一巻(“Histore des sciences arabes”, dir. Roshdi Rashed, Seuil, 1997を囓り読みしているところ。三巻の構成は、第一巻が天文学、第二巻が数学・自然学、第三巻が技術・化学・生物学となっているけれど、記述の上では当然多少他分野も重なってくる。というわけで第一巻。複数の著者による論集の体裁を取っており、概説書などよりはずいぶん細かい歴史記述が続き、いろいろと勉強になって楽しい。知らない固有名詞や文献がふんだんに登場し、久々に心地よく混乱する(笑)。中盤すぎまでの各論考は東方のアラブ世界における天文学の発達史。当然と言ってしまえばそれまでだけれど、イスラム以前のアラブ世界が、なによりもまずインドの天文学を受け入れ、その後でギリシアの学知を受け入れていったといったあたりが興味深い。学知の対外的な受容とそれに続く独自展開は、古くからいつも繰り返される事象なのだ、と。

そしてまた、最後のいくつかの章で取り上げられるアンダルス(要するにイベリア半島)でも、文脈こそ違えで同じ事が繰り返されている……。ジュアン・ヴェルネ&ジュリオ・サムソ「アンダルシアにおけるアラビア科学の発展」という章がそれ。8世紀から9世紀はまず、ラテン=西ゴート世界の学術的伝統が引き継がれており、東方のインド・ペルシャ・ギリシアの学知が伝わっていた形跡はほとんど見られないという。セビリアのイシドルスに代表されるような学知が伝統として命脈を保っていたらしい。その後の時代になると、シリアやイラクの学問が輸入されるようになる。コルドバの宮廷では占星術が流行し(日蝕などの天文学的現象が相次いだことから)、さらに医学の分野でも東方系の学知が流入してくる。10世紀にはディオスコリデス(1世紀にギリシアとローマで活躍した医者で、『薬物誌』の著者)の絵入り本がビザンツ側からもたらされ、またギリシア人僧侶がその読解の支援のために派遣されたりもしたという。11世紀ぐらいからは、そうした東方の学知は定着し(アンダルシアの東方化)、東方世界に留学する学生たちの数も大きく後退する(東方に対する独自路線の確立)……。

個人的に興味深いのは、少しだけ触れられている農学の発展。アンダルシアの農学は古くから地中海一帯の各種文化的影響を混成的な形で受けていたといい、医学(薬学)などと密接な関係があって、たとえばアリストテレスの気質=体液説などが農業の考え方にも反映していたのだそうな。土地を耕すことも病気を治すこととパラレルに考えられていた、というのがとても面白い。ディオスコリデスと併せて、そのあたりは少し自分で巡ってみたい気がする。

↓Wikipediaから、ディオスコリデス