ディナンのダヴィドに触れる?

少し前に取り上げたオリヴィ関連の論集『ペトルス・ヨハネス・オリヴィ – 哲学者そして神学者』から、アントニーノ・ペタジーネの論考(Antonino Petagine, ‘La materia come ens in potentia tantum. Tra la pozitione di Sigieri de Brabante e la critica di Pietro di Giovanni Olivi’)を眺めているのだけれど、オリヴィの批判を通じてブラバンのシゲルスの質料観を見るという主旨の論文ながら、その前段階としてアルベルトゥスとトマスの議論をまとめていて参考になる。で、そのアルベルトゥスの箇所で、先行する批判対象の論者としてディナンのダヴィドが出てくる。12世紀から13世紀初めごろ活動していた汎神論者。1210年に著書「クアテルヌリ」が禁書となり、パリを追われたという。アルベルトゥスとトマスによる批判を通じて知られるという、ちょっと史的な意味でも数奇な人物だ。質料論に関しては、アフロディシアスのアレクサンドロスの「エピクロス的」テーゼをもとに(んん?)、第一の基体を神と同一視し、完全なものに不完全なものが結びつくことによって存在がもたらされると考えているらしい。ちょっとよくわからないのだけれど、要は基体の原理と、存在を成立させる原理が異なり、後者が前者を指向するみたいな話のようなのだが……。なにやらこういう異質なものを見ると俄然読みたくなってくる(笑)。

主著の「クアテルヌリ」はもともと焚書にあって散逸していたらしいのだけれど、断章が1963年に校訂されているらしい。ただ、すぐには入手できないみたい(残念)。また、今すぐには確認できないけれど、『中世思想集成』13巻(盛期スコラ)に一部分(なのかしら?)の邦訳が収録されているようなので、そのうち目を通そうと思う。また1933年には、いくつかの断章を見つけたという報告論文が出ていて、これはpdfで読める(Birkenmajer Alexandre. Découverte de fragments manuscrits de David de Dinant. In: Revue néo-scolastique de philosophie. 35° année, Deuxième série, N°38, 1933. pp. 220-229.)。これを見ると、その発見作業の興奮が伝わってくるような気がする。巻末にはその断片の一部が採録されていて、とても興味深い。魂は身体から分離できないとして、一元論みたいな話が続いている。なんじゃこりゃー、とちょっといい意味での軽い興奮を覚えたり(笑)。いろいろ調べてみたい。