アルベルトゥス:護符に宿る力

占星術系の話になるけれども、アルベルトゥス・マグヌスについての論考から、ニコラ・ヴェイユ=パロ「星辰の因果性と中世の<形象の学>」(Nicolas Weill-Parot “Causalité astrale et « science des images » au Moyen Age : Éléments de réflexion”, Revue d’histoire des sciences, Numéro 52-2, pp.207-240, 1999)というのに目を通しているところ。天空の星が地上世界に影響するという考え方はもちろん古くからあるわけだけれど、中世盛期においてはそれまでの「星を読む」という象徴論的な考え方から、アリストテレス思想(と『原因論』)の浸透で、上位の存在から下位の存在へと影響の連鎖が続くという因果論的な考え方にシフトしたとされる。そこでは(たとえ稚拙なものでも)多少とも「科学的な説明」がなされるようになり、たとえばアルベルトゥス・マグヌスは、一部の宝石など(護符として用いられる)に宿るとされる力の源泉を天空の力によるものと説明したりしている。同様に、異形の人間の誕生とか、人間の顔をした豚、さらには人間や動物の姿が自然の岩(宝石)に刻まれる場合があることなども同じ系列の作用で説明づけられる。で、これまた同様に、占星術的な作法にもとづいて人為的に像を刻む場合(それがすなわち<形象の学>)にその石が同じような効力をもつ、という場合についても、アルベルトゥスは考察をめぐらしているのだという。

面白いのは次の点だ。著者によると、トマスなどはそういう護符のたぐいは上位の存在(ここでは悪魔ということになる)に対する「しるし」でしかなく、なんらかの力がもたらされるのはその上位の存在によるものだとするのに対し、アルベルトゥスは自然物の場合と同様に、製作が占星術的に適切なタイミングで行われれば、天空の力が、それを製作する者(職人=アーティスト)を媒介として(職人をいわば「導いて」)その像に直接宿りうるのだと論じているという。一方で人間がその力を阻む物質性をもっていることが強調される場面もあるといい、このあたり、以前にも出てきたような気がするが、媒体=障害物という二面性を人間(のとくに身体?)に見出すという、アルベルトゥスのちょっと興味深い人間観が伝わってくる。天空の決定論的な影響と自由意志とがせめぎ合う舞台としての人間、か。論文後半は、占星術的な作法の問題とも絡んでくる、像の力の作用の因果関係の詳細についての模様。

↓ヴィンチェンツォ・オノフリ(15世紀)によるアルベルトゥス像。wikipedia(en)から。