イブン・シーナーの「東方哲学」?

これはまた、なんとも面白い論文が紹介されていた。リアン・スピエック「中世カスティリャにイブン・シーナーの『東方哲学』を求めて」というもの(Ryan Szpiech, ‘In search of Ibn Sina’s “Oriental Philosophy” in Medieval Castile’ in Arabic Sciences and Philosophy, 2010, pp.185-206)。イブン・シーナー(アヴィセンナ)には膨大な著作があったとされ、その多くは失われているわけだけれど、とりわけ論争の的になっているのが「東方哲学」なる一冊。現物がないので、間接的な言及しか手がかりがないというが、これが果たして世に言う照明派なる神秘主義的な哲学をなしていたのかどうかが問題となっているという。アンリ・コルバンの一派(さらには最近の研究者もいるらしい)はイブン・シーナーの神秘主義的傾向を前面に出して論じているのに対して、ディミトリ・グータスなどはこれに懐疑的なのだそうだ。で、この論文はそれに一石を投じるという形で、東方哲学が言及されている14世紀のカスティリャのユダヤ教思想家(後にキリスト教に改宗)、ブルゴスのアブネルによる引用を検証しようという趣向だ。引用部分は神秘主義的な色合いが濃く、これがイブン・シーナーのものであるとなればその神秘主義的傾向の可能性は強くなるが、逆にそうでないとなれば、神秘主義的解釈は一種の歪曲である可能性が残るという次第。なかなかサスペンスフルな論考ではある……。

で、ネタバレになってしまうけれど、この論考によると、どうやらこのアブネルという人のアリストテレスの理解などは結構浅く、勢いイブン・シーナーについても扱いが少々荒っぽいようで、その引用とされる部分の多くは、イブン・トゥファイル(アブバケル)による言及から、時には混同されて引かれているという。東方哲学の謎は残り、イブン・シーナーが神秘主義的傾向をもっていたかという問題も依然として開かれたまま……。でも別に肩すかしという感じでもなく、読み応えは十分。なぜそんな混同が起きたのか(しかもそれは西欧にも広く伝わった)という疑問が残るが、著者はそれについても最後に少しばかり触れているものの、そのあたりはちょっと微妙、という印象も。うーむ、東方哲学の謎は深まるばかり……。

↓wikipedia(en)から、タジキスタンのドゥシャンベにあるイブン・シーナー像