『中世思想研究』から

ちょっと遅れたけれど、今年も『中世思想研究』(vol.53、中世哲学会編)にようやく目を通した。特集は前年に引き続き中世哲学とストア派倫理学。前年は中世初期とストア派という感じだったけれど、今回はトマスを中心とする中世盛期とストア派。で、ちょっと細かい話になってしまうけれど(苦笑)、つい先日こちらでも取り上げたsynderesis(良識)の話が、藤本温「自然法について−−アクィナスとストア派」という論考で取り上げられている(ちなみにsynderesisには「良知」の訳語が当てられている)。例のエゼキエル書へのヒエロニムス解釈の話だ。プラトンの魂の3分説にヒエロニムスが付加した第4の部分がσυντήλησιςなのだけれど、これがストア派のヘゲモニコン(魂の主導部分)を受け継いでいるという議論があるらしい。うん、これは確認してみたいところだ。また、そこで言われている「良心のきらめき(scintilla:同論考では「花火」と訳されている)」についても、scintillaがキケロに「徳の花火」という用例があり、しかもそれを「種子」とも言い換えもいるという興味深い指摘もある。トマスがストア派的な「自然本性的種子」をsynderesis(συντήλησιςの転訛とされる)に絡めている箇所もあるという(『真理について』)。synderesisは賢慮とも違うとされ、その意味論的な拡がりだけでも興味深い……。

小川量子「主意主義とストア主義−−ヘンリクスとスコトゥスによる「理性的選択」の解釈をめぐって」という論考もいろいろ考えさせられる。ヘンリクスやスコトゥスが「ストア的な自己運動にもとづいてアリストテレスの自然学を捉え直すことで、アリストテレス導入以前の自然学とも、イスラム哲学を系有したアリストテレスの自然学とも異なる仕方で、自然学を捉える可能性を開いた」(p.178)という指摘もある意味で大胆だし、スコトゥスがストア的な理性的意志の理解に通じていたことを前提として、「ストア的な理性的意志の理解をアリストテレスのうちに読み込みながらも、ストアの主知的な観点を主意的な観点へと根本的に変換している」とし、さらにそうしたスコトゥスの考え方を下支えしたものとしてヘンリクスの解釈があることも指摘している。うーむ、ぜひともテキストに即しての検討を見てみたい部分ではある。

特集以外の論文も、最近の傾向だけれど扱う対象や主題が多様化していてとても好ましい(というか、そのほうが読んでいて面白い)。今回はヨアンネス・クリマクス、アウグスティヌス、アンセルムス、トマス、マイモニデスについての各論考が収録されている。アウグスティヌスの音楽概念の推移(!)を扱った北川恵「学としての「音楽」概念の射程−−アウグスティヌス『秩序論』と『音楽論』の比較から明らかになる「音楽概念」」が、個人的にはとりわけ注目。アウグスティヌスの『音楽論』は、Meiner版をちょっとだけ囓り読みして放置したまま(反省)。でも、いまやオンラインで6巻すべてテキストが公開されているし(こちらのサイト。ほかにもキケロやマクロビウスなども!)、そちらも利用してぜひ通読しよう、と改めて(笑)。