ヴォイニッチ写本から

積ん読の山から年越し本の一冊として、ゲリー・ケネディ&ロブ・チャーチル『ヴォイニッチ写本の謎』(松田和也訳、青土社、2006)を引っ張り出そうと思っていたら、つい先日ヴォイニッチ写本についての論考が紹介されていたことを知る。というわけで、こちらから先に読んでみる。リンカーン&サウンドラ=リー・タイズ「ヴォイニッチ写本の生物学編:中世の植物生理学の教科書?」というアーティクル(Lincoln Taiz and Saundra Lee Taiz, The Biological Section of the Voynich Manuscript: A Textbook of Medieval Plant Physiology? in Chronica Horticulturae, Vol.51:2, 2011)。ヴォイニッチ写本といえば、不思議な文字記号が並ぶ、誰も解読できていない謎の写本。以前から各ページの写真を載せているサイトというのはあったけれど、最近は本家のイェール大学が全ページ公開している。ま、それはともかく。この写本は文字ばかりか、挿絵のほうも描かれている具体物がなかなか特定できない難物だという話だったと思う。で、この論考は図像学的な見地から、6つに分かれているうちその「生物学」編の挿絵について可能な解釈を打ち出そうとしている。で、なんとも興味深いことに、その推論のベースになっているのは中世の植物学関連の諸文献。

中心となるのはダマスクスのニコラウス『植物論(De plantis)』。ロジャー・ベーコン(かつてヴォイニッチ写本はベーコンが暗号で記した書だとされていた)が大学で植物についての講義をした際(『植物論の諸問題(Questions supra de plantis)』、その『植物論』がベースになっていたとされ、またアルベルトゥス・マグヌスも、同書の諸問題を補完する形で『植生論(De Vegetabilibus)』を著したとされる。で、その『植物論』に、アリストテレスやガレノスの消化過程をベースとした植物の栄養摂取過程の説明があり、ヴォイニッチ写本のf.78rの挿絵は、裸の女性たちを取り除いて考えると、どうやらその消化過程にうまく重なるらしい。さらに種子の産出過程の説明に適合するとおぼしき挿絵もある、と……。

ではその裸の女性たちは何なのか?この点についても、著者らは一応の仮説を立てている。つまりそれは、アリストテレス的な生命力、植物的魂を表しているのではないか、というわけだ。古代からの伝統として女性は植物と密に関連づけられてきたし、アリストテレスによれば動物は分割できない単一の魂をもつものの、植物は分割可能な魂をもっているとされ、これが挿絵として視覚化されたものなのではないかという。うーむ、真偽はともかく、推論としてはとても興味深い。思想と図像の連関というのは、やはり興味の尽きない分野だ。

↓wikipedia(ja)から、そのf.78rの写真を。