14・15世紀の占星術史概観

再びジャン=パトリス・ブーデ『科学と魔術の間』から。第2章は占星術以外のいわゆる占い・予言についての概観。主に取り上げられているのは、まずは12世紀のソールズベリーのジョン『ポリクラティクス』。これに各種の占いの分類が示されているのだけれど、そのもとになっているのはやはりセビリャのイシドルス。とはいえそれにはなくて、『ポリクラティクス』にある新分類の占いとして、夢占い、手相、鏡占いなどがある。このうちの手相についてはギリシア語文献などもなく、起源がわかっていないそうで、西欧で最も古いのはバースのアデラードに帰されている『小手相術(Chromantia parva)』という書だという。いずれにしても、アラビア経由で入ってきた占い(土占い、へら占い、夢判断、人相占いなど)はどれも占星術に依存する関係にあるという指摘が興味深い。この章ではとくに土占いの中身が紹介されているけれど、土の上に描かれた「テーマ」の解読法は、占星術の解読法に類似している……。

ここから個人的興味に即して、いきなり第6章に飛ぶ(笑)。そちらは14・15世紀の占星術の「社会的」分析となっている。14世紀以降、占星術は天文学の発展にともないさらなる展開を見せる。特に惑星の位置に関して、13世紀のアルフォンソ天文表(チャート)はトレド天文表と拮抗する形で欧州各地に広まる。で、時期を同じくして天文学・占星術はイタリアを中心に大学の教育に組み込まれるようになる。ここでも重要なテキストとなるのはアルカビティウスの『占星術入門書(Liber introductorius)』だ。チェッコ・ダスコリ、ザクセンのヨハネス、ルイ・ド・ラングルなどが注解書を記している……。イタリアが最も盛んだというのが面白いところ。理由はどのあたりにあったのかしら……?

次に取り上げられるのは占星術師たちの社会動向。15世紀末にシモン・ド・ファールという占星術師が著した『著名占星術師文選(Recueil des plus celebres astrologues)』を紹介している。この書は、占い師が糾弾される歴史的局面にあってその擁護のために書かれたものだという。取り上げられている占星術師たちにおいて顕著なのは、「個人占星術(astrologie judiciaire)」(社会とかの大枠を占うのではなく、個人のいわゆる星占いだ)の術師たちが増加していること。そうした術師たちの多くは、聖職に就こうとしてなんらかの理由で就けなかった人々だという。医者と兼業している人々も多く含まれているものの、多くは凡庸な医者ということらしい。アーバノのピエトロなどの見解とはうらはらに、医療と占星術は実践レベルでは必ずしも結びついていたとはいえないようだという。うーむ、なるほど。やはり複雑な計算を要するホロスコープ占星術はエリートのもの、しかも主に中間層的な(?)エリートに担われていたということのようで、確かに社会的に広範に拡がりはしても(とくにイタリアなどで)、実際のところより手軽に巷でもてはやされていたのは、むしろ初期中世に流布していた月の運行ベースの占星術だったりするのだとか(とくにイングランドで)……。

↓上のLiber introductorius(Google Booksのデジタル版)の1ページ