アルキノオスの位置づけ

基本文献の一つとなっている『ケンブリッジ古代末期哲学史』(The Cambridge History of Philosophy in Late Antiquity, ed. Lloyd P. Gerson, 2 vols, Cambridge Univ. Press, 2010)の第4章「プロティノス以前のプラトン主義」(ハロルド・タラント)が、アルキノオスについていろいろ書いている。それによると、アルキオノスは基本的に、プラトンに「学術的」なイメージを与えようとしていたのだといい、その著書も当時の先行する入門書の類を、ある意味アップデートしようという目論みのもとに書かれていたのではないかという。もとのテキスト(まだ途中だけれど)を見るに、そういう側面は確かにありそうだ。

タラントの概論で取り上げられているうち、思想史的にとりわけ興味深いのは、たとえば創造神についての考え方など。アルキオノスは、創造神が眠っている世界霊魂を目覚めさせ、創造神が内にもつ知的イデアを見させてその世界霊魂に形相を受け取らせると考えているのだといい、プルタルコスの考える創造(世界を生み出すというよりは、無秩序に秩序を与えるのが創造だとしていた)に近い立場を取る。けれどもプルタルコスのように霊魂にコスモス以前の状態(無秩序の質料と知的ではない魂が存在する状態)があったとは考えず、あくまで世界霊魂は一種の宿酔・酩酊状態から覚醒すると見なしている点が特徴的だという。また、ヌメニオスに見られるような創造神と最高神とを分けるという議論への傾斜が、アルキノオスにも見いだせるらしく、プルタルコスやアッティコス、アプレイオスといった当時のプラトン主義者たちの多く(創造神と最高神を同一視する)とは微妙に立場が異なっているらしい。

さらにまた自然学においても、反アリストテレスの立場に立つアッティコスなどとは違って、アルキノオスはエーテルを第五元素と見なすことに同意しているらしいともいう。同じく自然学の一部に関係するけれど、運命論についてもアルキノオスは、あらゆるものは運命の領域(運命が支配する領域)にあるものの、すべてが運命づけられているわけではないとし、人間の行為や生の選択そのものは自由であるものの、その選択の結果は運命に従って成就するという、いわば調停的な見解を示している(らしい)。……とまあ、各種テーマについてのアルキオノスの立場は、新プラトン主義へと移行する途上という意味合いが強いとの解釈だが、上の創造神の話なども含め、テキストを突き合わせて検証したいところではある。