ローマが受け継いだ気象予測の伝統

何気に気になって、ブリッタ・エイジャー『ローマの農耕魔術』(Britta K. Ager, Roman Agricultural Magic, PhD Dissertation, University of Michigan, 2010 →PDFはこちら)という論文を読んでいるところ。ミシガン大学に提出された博論で、ローマ時代の農業書の類(コルメラの『農業論(De re rustica)』など)をめぐりながら、農民たちが実践していたであろう「魔術」的行為を総合的に検討しようというものらしい。ほぼ前半にあたる、序論と天候関係の魔術についての章に目を通してみたのだけれど、この論考がちょっと興味深いのは、農民たちの民間伝承的な下地から、古代ギリシアから受け継いだ哲学的なコスモロジーの伝統までを幅広く視野におさめているところ。それらが大局的に見て地続きだということを、著者は改めて手際よく際立たせていく。たとえば序論において、自然魔術、超自然魔術、儀礼魔術といった区分をいったん立てつつも、それらが相互に結びつき影響し合い、全体として輪郭があいまいで広範な営為をなしていることを重視し、続く天候関連の魔術(気象の先読みや、気象への働きかけなど)を扱う章では、そうした文化的営為の混淆的・複合的な側面を一つずつ丹念に取り上げていく、という感じ。

というわけで、以下はメモ。当然ながら、天候を示す徴候を読むことは農家にとって昔からの最重要事項だったわけだけれど、そこには経験則に立脚した知恵と、もう一方では天候が神によって左右されるという基本的な認識にもとづく宗教的・儀礼的なアプローチとがあって、さらにその両者が結びついたところには、星が天候を告げるといった天文気象学ないし占星術的な予言もあった。民衆的な傾向として農耕暦と占星術とは容易に結びつく。その一方で、経験則的な(迷信も含む)気象の徴候は、詩人や自然哲学、予言者などの教えを介して実に多種多様なものが生み出されていく。ときにそうした徴候は特定の天候を告げるのではなく、天候そのものをもたらしているとまで解釈される。

気象の徴候は神から直接伝えれらたサインと見なされたりもする。これはなにも民衆的な見方に限ったことではなく、たとえば古代ギリシアの哲学(ソクラテス以前)においても、気象の予知(自然学的)と予言(神的)とは必ずしも明確に線引きされてはいない。かくしてエンペドクレスを初めとする何人かの哲学者らは、一種のマギとして振るまい、その逸話もまた伝承されていく。秘教的にのみアプローチできる現実があるという感覚もしっかりと根を下ろし、それに携わることのできる真の哲学者(予言者)と、それ以外の儀礼的実践者という二分割も定着する。興味深いことに、これはヒポクラテスが説いている医学的診断の二つのパラダイムとも呼応し合うのだという。こうして気象の徴候は医学的な徴候に比され、病気の制御と気象の制御とが結びつけられたりもする(うん、このあたりは個人的にもとても気になるテーマかも)。

ヘレニズム期を経てローマ時代にいたっても、とりわけストア派の影響と徴候をめぐる詩的(文学的)関心とによって、そうした古代ギリシアの哲学以来の伝統は引き継がれ、かくして気象の徴候も伝えられていく……。この、哲学と詩とが伝統の両輪をなし、文化的営為を伝えていくという様が静かに心を打つ。

↓Wikipedia(en)より、カディス(スペイン)のフローレス広場にあるというコルメラの像。