シニシズムの歴史が気になる……

論考の中身が予想とちょっと違っていたために、なにやら落ち着かない気分にさせられる(苦笑)。読んでいたのはジョン・クリスチャン・ラウアセン『シニシムズの今昔』という短い論文(John Christian Laursen, Cynicism Then and Now, iris: European Journal of Philosophy and Public Debate, Vol 1, No 2, 2009)。かつてのキュニコス派の教義と近代的なシニシズムとには大きな隔たりがあるわけだけれど、同論文の序で「その意味がいかにして変化したのか」という問いが掲げられ、俄然その歴史的変遷についての興味に大いに気分が高揚したのだが……。

最初のあたりでは、キュニコス派の始祖アンティテネスの話や、その主要人物であるシノペのディオゲネスに次いで、より知名度の低いほかの論者たちが紹介される。さらにその教えを伝えたストア派のエピクテトスが取り上げられ、自己修練といった道徳的教義の面が後世に引き継がれる話が続く。興味深いところとしては、より穏健なキュニコス的思想の担い手として、雄弁家のディオ・クリュソストモスについて取り上げられていたりもする。そんなわけで、このあたりまでは大変面白い。ところが論考は、その後中世のあたりをほぼすっ飛ばしていきなり近代に接合する。しかもだ。エラスムス、ラブレー、ド・ラ・ボエシー、モンテーニュなどがキュニコス派に言及したり、その教義の引用したりしている話は取り上げているものの、そこから先はフーコーとかスローターダイク、オンフレ、コント=スポンヴィルほかによるキュニコス解釈のほうへと主眼が移り、歴史的な側面はごく小さな扱いになってしまう……。たとえば「シニック」の意味が近代英語で変化していくのはシェイクスピア後、18世紀の終わりから19世紀にかけてだといい、わずかに1814年のオックスフォード英語辞典が、ホッブスを近代的な意味で「シニック」と称している例が挙げられているのみだ。というわけで、歴史的な側面の話を期待していただけにちょっと拍子抜けに……。とはいえ、その方面での参考文献も挙げられていないわけではないみたいなので、近いうちに見てみなければ。この落ち着かなさを解消するにはそれしかない(笑)。