【シリーズ:書きと読み 1】プラトンの文字論再訪

あまりにストレートなタイトルだったので思わず読んでしまった(笑)のが、ジャン=リュック・ソレール「なぜプラトンは書いたのか」(Jean-Luc Solère, Why Did Plato Write?, Orality, Literacy, and Colonialism in Antiquity, ed. Johnathan A. Draper, Society of Biblical Literature, 2004)という論考。『パイドロス』で文字の起源について触れ(エジプトのトート神)、それが人間の記憶を弱めるとしていたのに、なぜプラトンは敢えて著作を残したのか、そもそもアカデメイアの教義の核心部分は口頭でしか伝えられなかったというでないか……というかなり古くからの素朴な疑問に、論文著者はまずマルセル・デティエンヌの論を紹介しながら接近する。それによると、当時のギリシア世界では書の起源は二人の神話上の人物、つまりパラメデスとオルフェウスによって体現されていたという。前者は算術などの技法の考案者ともされ、トート神と同一に考えられていた。で、デティエンヌによると、トート神(=パラメデス)の文字の発明は算術・幾何学・天文学など他の技法に必要とされ、ゆえにそれらと一体のものとして正当化されるべきものであったにもかかわらず、それが生きた記憶に対立するものとして位置づけられたのは、タムス王に提示する際の仕方がまずかったからなのだそうだ。

一方のオルフェウスは、話された言葉のそのままの転写を体現するのだという。このほとんど自動書記のような文字の使用をたとえばパイドロスは受け継いでいて、文字化された他者の言動を批判的に吟味することなく受け入れる。それがソクラテスの批判を受けることになる。というわけでこの議論ではなによりもまず、プラトンが批判するのはパラメデス的な諸技芸に関わる文字の使用ではなく、オルフェウス的な自動書記的・転写的な文字の使用だということになる。論文はその後で、プラトンの書簡集をもとに、書かれた文書が読み手にとっての試験的な意味合いがあることや、プラトンにおける書く際のルールなどの話に入っていくのだけれど、興味深いのは末尾部分ではるか後世のプロクロスによる『神学綱要』を取り上げている点。『神学綱要』はエウクレイデスの『原論』とのアナロジーで綴られているとされ、公理からの数学的な推論をベースに書かれているのだけれど、その意味でこれはプラトン推奨の書き方(つまり対話的な質問と回答による議論)の対極にあるとも言える。これについて論文著者は、少数の読者にのみ分かる(そのこと自体はプラトンの教義の伝統に則している)別様の書き方を、プロクロスは数学的メソッドの中に新たに見出したのだろうと考えている。それを論証しうる事例としてボエティウスが挙げられたりもしているのだけれど、うーん、このあたり、ちょっと確認してみないと。

アントニオ・カノーヴァ(18から19世紀にかけてのイタリアの彫刻家)によるパラメデス像。ヴィラ・カルロッタ(コモ湖畔)所蔵。