魔術師のジェンダー化問題

近代初期を中心に盛んになった魔女裁判。ちょうどこちらのブログ「オシテオサレテ」でも取り上げられていたのだけれど、魔術・魔術師の糾弾として始まったはずの教会の動きがいかにして「魔女」裁判になったのかはとても興味あるところ。というわけで、先に別方面で紹介されていた論考を読んでみた。マチュー・アレクサンダー・メビウス「魔術についての聖職者の理解と魔女のステレオタイプ」というもの(Mathew Alexander Moebius, Clerical Conceptions of Magic and the Stereotype of the Female Witch, Oshkosh Scholar, vol.6, 2011)で、魔術師のジェンダー化問題について様々な文献をプロットし、それがどう導かれたか描こうとする野心的な(?)一編。さっそく内容をまとめよう。もともと広義の魔術・妖術は古代から民衆の間に伝えられていたわけだけれど(良き霊が介在するとされていた)、当然ながらキリスト教はこれを全面的に批判した。その代表格がアウグスティヌスで、そうした魔術の一切はもとより悪魔的だと一蹴してみせた。これが長い伝統として受け継がれていき、たとえば10世紀初めごろに書かれた重要文献とされる『司教法令集(Canon Episicopi)』でもその路線が踏襲され、基本的に異教への信仰(女神ディアナの夜の行軍とか)全体が誤りとして糾弾されていく。

で、12世紀頃からのヘブライ・アラビア方面の文献の流入で状況は大きく動いていく。つまり、学僧たちがそうした異教の術、すなわち狭義の魔術を積極的に学び始める。これを受けて、教会当局の側は警戒感を強め、やがて魔術全体を糾弾するようになる。学僧たちの狭義の魔術にとどまらず、『司教法令集』の頃から見過ごされるようになっていた広義の魔術(民衆レベルでの術)にまで、再度批判の矛先が向けられるようになる。するとここで大きな問題が持ち上がる。民衆レベルの術をも糾弾するには、学僧たちが難しい書を読んで会得する術と同等の悪魔的な力が、無学の民衆のレベルでも会得されるような、なんらかの合理的説明がなされなければマズいのではないか、というわけだ。そうして練り上げられたのが、夜の集会ことサバトだ、と同論文は指摘する。

このサバトという装置を<考案>することによって、魔術は学識層と切り離されることになり、魔術の使い手も、それまでの男性から女性にまで拡大されることになる。サバト概念が定着するのは15世紀半ばなのだけれど、そこにいたるにはやはり様々な事象の積み重ねがあっただろうとされる。とくに重要なのは、12世紀のワルド派、13世紀のフラティチェッリなどの異教・異端派の糾弾を通じて魔術的な要素のステレオタイプが出来上がり、それが15世紀初めごろまでに魔女の「神話」に埋め込まれていったのではないか、という点。で、15世紀前半になると、そうしたサバトについての詳細が記された書物、たとえばドイツの神学者(ドミニコ会士)ヨハネス・ニデルの著書などがかなり広く流布し、地域差はあるものの、女神ディアナなどに代表される女性のイメジャリー(もちろん教会の女性蔑視的な要素も関係する)とそうした異教的要素との結びつきが形成されていく上で一役買ったらしいという。こうして15世紀後半の有名な『魔女への鉄槌』ともなると、悪しき魔術を用いる者はほぼすべて女性ということになってしまう……。以上が全体の流れだが、論文のキーとなるのはやはり上のサバトの成立のくだり。もちろんこの場合に問題になっているのは、実際にサバトがあったかとか、中身はどういうものだったかとかではなく、あくまで教会が理屈を通すために作り上げた戦略的像としてのサバトなのだけれど、論文の要の部分でありながらそのあたりの議論・説明が薄いのがちょっと残念かも。でもこれは面白そうな部分ではあるし、今後の研究にも期待したいところ。

wikipedia (jp) より、魔女の飛行図。マルタン・ル・フラン(15世紀の詩人)『女性の擁護者』の挿絵