11世紀の出版事情

久々に文献学的な論考を読んだのだけれど、これが滅法面白かった(笑)。リチャード・シャープ「著者としてのアンセルムス:11世紀後半における出版」(Richard Sharpe, Anselm as Author: Publishing in the Late Eleventh Century, Journal of Medieval Latin, vol.19, 2009)というもの。中世の神学者らが著書をどのように作り、どのように流通させていたのかは、具体像とか細かい点になると案外わかっていなかったりするらしいのだけれど、アンセルムスは例外的に書簡の形で著作についての言及が多々あり、本人がどのように出版(publishing)を目論んでいたのかが比較的よく追える数少ない例の一つなのだという。著作の成立年代なども含めてそうした動きを再構成しようというのがこの論考。当時は一般にまず薄い小冊子的な文献(20葉とかそのぐらいの)が出回りやすかったようで、アンセルムスも初期はそういう短い説教集などを匿名で出していた。最初に名前入りで出したのは『モノロギオン』で、これはタイトルを付す前に先達のランフランクスに出版許可を請うた上で、序文を付して名前を明かした。「出版」の手順はというと、現代の研究者が抜刷りを送るのとあまり変わらない。著作が完成するといくつかの写本を作り、それを知己などに送付する。やがて評判が立つと写本を請われるようにもなり、そちらにも送付する。こうしてかなりの量が流通に投入されていたらしい。徐々に著者として名が知られるようになると、そこから先は出版というよりも著者の手を離れた流布(dissemination)の段階になり、写本の受け取り手が独自に二次・三次的に写本を作り流通させていく。当然ながら筆写の誤りも混入してくるし、体裁その他が大きく変わってしまったりもする。

アンセルムスは著者として認められてからというもの、テキストが正確に再現されて読者に伝わることにかなり神経を使っていたらしく、勝手な流布に対してはひどく警戒感を抱いていたようだ。筆写するなら序文を落とすなとか、章の始まり部分も再現しろとか、筆写の誤りを直せとか、書簡の中でいろいろ述べている。どういう人を読者として想定するのかについても、かなり明確なビジョンをもっていたようだ。それぞれの著書の正式なタイトルについてもいろいろ気をつかっていたようで、タイトルの決定は著作の中身が完成した一番最後に行われていたという。一度完成したものの手直しはあまりしていないようだが、誤りを含む写本が流通していることには気を揉んでいる。論文では、そうした誤りは、写字生を多数動員して一度に複数の写本を作るという一種の量産体制から生じたものだろうと論じている。こうして見ると、アンセルムスは出版に関する限り、なにやらひどく「近代的」だということがわかる(笑)。

wikipedia (en) より12世紀の挿絵。聖アンセルムスの瞑想