10世紀末イスラムの天才的外科医

西欧が学問的に蒙昧の時代とされていた9世紀から10世紀ごろ(実はそこまで蒙昧ではなかったというのが近年の流れではあるわけだけど)、イスラム圏では植物学、薬学、化学などが開花し、医学研究が隆盛を極めていた……で、そんな中できら星のごとく登場したのが、アッ・ザフラウィーという人物。敏腕の外科医として活躍し、外科の発展に大いに貢献したほか、医学的な大著を残しているという。というわけで、この人物を紹介するアーティクルとして、モハメルド・アミン・エルゴハリー「アッ・ザフラウィー:近代外科の父」(Mohamerd Amin Elgohary, Al Zahrawi: The Father of Modern Surgery, Annals of Pediatric Surgery, vol.2, 2006)(PDFはこちら)というのを読んでみた。折しも西欧では、外科処置は床屋や肉屋の所業とされ、トゥールの公会議(813年)での「外科は医学校とすべての本物の医師により放棄されるべし」との決議がずっしりと重くのしかかっていた(?)頃合い。一方のイスラム世界では、治療や教育のための病院組織の発展(11世紀)という人類史的に重要な貢献がなされていた。そんな中でアンダルスに登場し活躍したアッ・ザフラウィーは、後に両世界の架け橋をもたらすことになる。長大な主著『処方を入手できない者のための処方の書(通称:解剖の書)』(كتاب التصريف لمن عجز عن التأليف)は、1150年にクレモナのゲラルドゥスによって翻訳され(オリジナルに描かれた器具などの挿絵ごと)、18世紀ごろまで重要な医学文献として参照されていたという。ウィリアム・ハンター(実験医学の父とされるジョン・ハンターの兄)などもそれで学んでいるのだとか。挿絵で描かれている器具の多くはザフラウィー自身の考案によるものだという。「○○の嚆矢」という事例のリストは様々で、○○の部分には脱脂綿の使用とか、血友病の説明とか、歯科矯正学的記述とか、膀胱結石の切除での鉗子の使用とかいろいろなものが入る。うーん、これはなかなか壮大だ。天才的な外科医ということで、小説とか映画とかの主人公にできたりしないかしら(なんとも月並みな発想だが)。

wikipedia (en)より、1531年のピエトロ・ダルジェラータ訳によるアッ・ザフラウィーの外科・医療器具論のページ