外傷治療の歴史

ちょいと忙しいので短めのものしか読む時間がないが、リチャード・D・フォレスト「初期の外傷治療の歴史」(Richard D. Forrest, Early history of wound treatment, Journal of the Royal Society of Medicine, vol.75(3), 1982)は、わずか8ページの中に前史時代から中世までの傷治療の歴史を押し込むという荒技的な概論(笑)で、その凝縮ぶりがかえって面白かったりする。医療的知識について同論文は、四大文永や南米、ポリネシアなどで同時多発的に発展したというあたりの多元モデルを採用している。その上でアレクサンダー大王の遠征でインド医術がローマに達していたなんて話も紹介している。エジプトの治療法はギリシアに受け継がれ、一方でギリシアには独自の医療的伝統もあり、トロイア戦争には外科医が従軍していたという話もある。けれども焼灼(しょうしゃく)や結紮(けっさつ)による止血はまだ未熟だったのでは、と。包帯は紀元前5世紀ごろから技術として確立される(ヒポクラテス)。ローマ帝国においてもギリシアの医師は重宝がられ、後にラテン語での知識の普及も始まる(ウァロ、ケルススなど)。そしてガレノスが登場し、ギリシア・ローマ期の医学は頂点に達する。

ガレノス以後、医学知識をまとめたパウルス・アエギネタ(7世紀)の『摘要』がイスラム医学に受け継がれるものの、アラブ世界、ユダヤ世界では、外傷も含めて病人に触れることがタブーとされ、その結果フィジカルコンタクトを免れえない外科医には、なかなかなり手がいなかったという(←要確認?)。10世紀にはイスラム医学の中心はバグダッドからコルドバへ。前にも出たけれど、アルブカシス(アッ=ザフラウィー)などが登場する。で、西欧中世。外科に関してはサレルノから12世紀にはボローニャに拠点が移り、ルッカのフーゴーとその息子のテオドリクスを輩出。さらに13世紀末にはミラノのランフランクスの助力でフランスはリヨンに外科施療所が出来る。やはりベースとなったのはガレノス流の治療法。さらにモンペリエでもアンリ・ド・モンドヴィルが主導し外科治療が教授される。さらに14世紀にはギ・ド・ショーリアックがその後を継ぐ。ちょうど火薬がヨーロッパに導入され、最初の大砲が使われたのが1346年で、砲撃の外傷治療をめぐる議論がわき起こる。イングランドのジョン・アーデンなどがそれに当たり、モンペリエの外科技術が各地に拡がるが、一方で傷の縫合はすたれ、焼灼が一般化。ギリシア・ローマの外科的教えは多くが失われた(?)……。うーん、この論考は概説なのでこう言ってはナンだけれど、細かく確認したいことが山のように出てきた。時間的余裕が在るときにいろいろ見ていくことにしよう。