主体の考古学

先の『空虚な参照』に続き、アラン・ド・リベラの『主体の考古学1–主体の誕生』(Alain de Libera, “Archéologie du sujet I — Naissance du sujet”, Vrin, 2007)を読み始める。すでに2巻目も昨秋刊行されているし、まだ続くようで、近年のド・リベラ哲学の主著ということになるのかしら。古代にはなかった「主体概念」が、中世のたとえばアヴェロエスの「思考するのは知性だ」といった議論を経て、いかにデカルトに着地することになるのかを追うというなかなか壮大な試み。まだやっと1巻の4分1(第一章の途中)まで眼を通したところだけれど、前著よりもとっつきやすいというか、なかなか読ませるものがある。第一章は全体の問題提起だけれど、大きなポイントは「付与的主体」と「内在的主体」という図式的対立とその転換を、どのように整理するかということにあるようだ。これに「呼称の主体」「行為の主体」といった区分が絡んで四つ巴になるらしい。すでにしてアウグスティヌスの立場(人間の魂に「主体」といった概念を適用するのは冒瀆的であるとした)や、トマスの議論(感覚的操作の「原理」としての魂と、操作の「主体」としての身体=魂の複合体)が、近代的意味での主体からほど遠いことが強調されたりもしている。ふむふむ、具体的な展開が実に楽しみ(笑)。